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漫画じゃない4コマを作りたい 現代4コマ全般 漫画からはみ出した4コマ やっぱり4コマ漫画が作りたい 近代4コマ 4コマ漫画の体裁は保っているが挑戦的な4コマ漫画 マイケル・ジャクソンじゃなかった アウッ!! ほぼ4コマ漫画 現代4コマとして投稿されているがほぼ4コマ漫画ではないかというジャンル 上記のマイケルジャクソンじゃなかったやカニ食べてる時の4コマ、リタ伯爵の比率シリーズなどが挙げられる。 ちゃんと描いて表現したい 抽象表現4コマ 抽象画のような4コマを描くジャンル 4コマ印象派 4コマっぽい印象を描くジャンル 晩年4コマ 晩年のピカソっぽい4コマ追求するジャンル 文章表現がしたい 現代4コマ詩 4コマをテーマに詩を作って、「#現代4コマ」と「#現代4コマ詩」をつけて投稿しよう! 並べただけで4コマと言い張りたい 並べ派 何かを4つ配置しただけで4コマと言い張る流派。 作りたくない・描きたくない 本当の日常系4コマ 日常風景にある4コマを見つける手法 国旗4コマ 4コマっぽい国旗を4コマと言い張る手法 純粋4コマ主義 何も描かれてない4コマ枠こそが美しい レディ・4コマ レディ・メイドの手法を用いた4コマ アプロプリエーヨン 4ミュレーショニズム 既存の作品を4コマと再定義 色だけで表現したい カラーチャート 荒々しい4コマを表現したい 4ヴィスム 紅蓮派 燃え盛る表現を追求する4コマ派閥 4コマじゃないものを作りたい 4コマではない 明らかに4コマなものを4コマではないと言い張る手法 非4コマ派 明らかに4コマじゃないものを4コマではないと言い張る手法 現代4ナイ 徹底的に4コマ要素を排除 どう見ても4コマではないものを4コマと言い張りたい 問いかけ 5コマ 現代nコマ あと一コマ 補完4コマ 4コマ以外を作りたい 問いかけ 5コマ 現代nコマ 4でコマを表現したい コマ4表現 パフェを食べたい パフェズム
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リダイレクト →トランプ(現代4コマ作家)
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現代4コマ作家のうちの1人、トウソクジンについてのページ。 もしかして?:頭足人(概念) 目次 概要 提唱した表現方法、概念定型詩4コマ-物質派4コマ詩関連 ざく切り4コマ 4コマ印象派関連 概念の4コマ関連 その他の論考・記事 提唱した現代4コマ周辺概念セルフイントロダクショニズム 引きズム トウソクジン関連リンク 概要 元はX(当時はTwitter)にて文房具や書写に関する投稿のみをしているアカウントであったが、いとととの現代4コマ展へ立ち寄ったことをきっかけに現代4コマ作品を投稿するようになった。「等速人」という名義もある。現代4コマの活動と並行して、「4コマ詩(月刊ココア共和国)」への投稿に挑戦中。 提唱した表現方法、概念 定型詩4コマ-物質派4コマ詩 定型詩へ視覚的に4コマを組み込む試み。のちに詩文系現代4コマ作品を体系化する流れを生み出すこととなった。 関連 現代4コマ詩 ざく切り4コマ 「粗製濫造」は私のざく切り4コマ作品の現状を如実に表したある種自虐的な作品ですが、おかげで他の方が相対的にずっとずっと良いものを生み出してくださっているのでありがたいです。──トウソクジン、Xのポスト 文字列をスラッシュ【/】により4要素へ分割する。コマ枠にとらわれないどころではない自由度から混沌と化した。 4コマ印象派 4コマは印象の中にも確かに存在するという主張。4コマ無欠仮説の提唱者、トランプ(現代4コマ作家)とトウソクジンとの間で「曖昧模糊」という作品が4コマ性を有しているか否かの議論が行われ、その中で提唱された。ちなみに本作品は屋外で描かれたものではないため、主要な印象派画家とはスタイルが異なる。のちに「《習作》印象・日の出と4コマ」の発表により主張をひとつの作品として示すこととなった。現在は「4コマ印象派」の名のもと、従来の印象派的なアプローチに限らずに4コマの印象を描き留める実験を行っている。 関連 note「『4コマ印象派』へと込めた反逆心/作品解説」 概念の4コマ 4コマにまつわる理念上の装置。「認識」、「生成」、「付加」の3つの役割を持つ。 関連 「概念の4コマ」について詳解するnoteの記事 『現四通信』2024年6月号 その他の論考・記事 【ようこそ】現代4コマについて - note 現代4コマを概説する記事 詩文系現代4コマ作品の体系化に関する論考 網膜音楽に関する論考 網膜音楽と網膜ボカロに関する論考 提唱した現代4コマ周辺概念 セルフイントロダクショニズム 自己紹介を芸術と見做す主義。 引きズム テープを貼ってビリッとするアート。 トウソクジン関連リンク X雑多アカウント←主な活動場所 X書写・文房具専用アカウント note -「定型詩4コマまとめ」マガジン note - 「4コマ印象派 まとめ」マガジン
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現代 キャラクター リード家 リード 現代アメリカ 1 キャロルの父 リード夫人 現代アメリカ 1~ キャロルの母 ライアン・リード 現代アメリカ 1〜 キャロルの兄 ロディ・リード 現代アメリカ 1〜 キャロルの兄 キャロル・リード 現代アメリカ古代エジプト 1〜 主人公・エジプト王妃 リード家のばあや 現代エジプト 1〜 リード家のお手伝い ★リード・コンツェルン ・本社はアメリカ・ニューヨーク ・エジプト遺跡発掘の出資をしている。 ・ネフド砂漠のマア―リクオアシスの近くで石油採掘事業 ・エジプトのカイロ・シリア・地中海周辺に支社がある カイロ学園 殺人事件が2回起こる治安の悪い学校 制服があるが、宗教的な事情での服装も許可されている テニスコート完備 ブラウン教授 現代エジプト 1〜 カイロ学園の教授・ジミーの祖父でキャロルの恩師 ジミー・(ブラウン?) 現代エジプト 1〜 キャロルの同級生・婚約者 マリア 現代エジプト 1〜 キャロルの同級生で親友 ハッサン 現代エジプト 1〜 キャロルの同級生 エリー 現代エジプト 24 キャロルの同級生 ラフマーン一族 ・アラブの名門 ・アルフ空港の近くが本邸、16世紀の建築 ・アルバイーン、アレクサンドリア、アルマーズ(サウジアラビアのALMALAZの可能性あり)に別荘がある ・砂漠に警備隊を持っている ラフマーン 現代アラブ 20 アフマドの父親 アフマド・ル・ラフマーン 現代アラブ 20 キャロルを拾ったアラブの名門の息子 アフマドの爺や 現代アラブ 20 アフマドの爺や バドル 現代アラブ 20 アフマド付きの召使の一人 砂漠の警備隊長 現代アラブ 23 ラフマーンの配下の砂漠の警備隊長 ナウム 現代アラブ 24 アフマドの国の医者 アフマドの知人 パトリシア 現代 20 アフマドの取り巻き女子 ガーシー 現代 20 アフマドの友達 スペンサー一族 ・アメリカのスペンサー石油会社社長 ・リード家抜きたい。ニューヨーク市場のシェアをバトル、あまり業績は伸びない ・リード家の真似してエジプト展を開く→商品偽物17点で大損害 ・息子のキャロル誘拐事件の煽りで会社が倒産 ベン・スペンサー アメリカ 20 リード家を抜きたい、アメリカのスペンサー石油会社社長 ドロシー・スペンサー アメリカ 22 スペンサーの娘 スペンサーの息子 アメリカ 22 スペンサーの息子、ドロシーの兄 スペンサーと誘拐に加担した人々 誘拐先のばばあ シナイ半島 23 シナイ半島のオアシスのキャロルの誘拐先の拠点にいるばばあ 誘拐先のじじい シナイ半島 23 身代金につられてキャロル誘拐に加担したじじい ソルマ シナイ半島 23 キャロルを誘拐した一味の男 アブー シナイ半島 23 キャロルを誘拐した一味の男 有識者 マーシャル 現代 7 カイロ病院の医者 ザグルール・ラザフォード 現代エジプト 22 考古学博士 現代エジプトの人々 ハキム 現代エジプト 1 王家の墓の警備員・アイシスに包帯でぶっ殺される ハキムの相棒 現代エジプト 1 王家の墓の警備員・アイシスに包帯でぶっ殺される 治安が悪い人々 アブダラ 現代エジプト 1 闇のミイラ商人 シドキ 現代エジプト 1 闇のミイラ商人 パピルスを売りに来た男 現代エジプト 3 ライアンにパピルスを売りつけた男 イヴン 現代エジプト 7 ネフェルマアト王の墓をあばいたおっさん ウバイド 現代エジプ 22 エジプトの闇の古物商 マスコミ ニック 現代エジプト 22 ニューヨーク新聞の記者
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219p 三論宗の吉蔵(きちぞう)らが経文を読んで言うには 「般若経と法華経とは名は異なっているがその当体は同じであり、 二教は一つの法である」 と。 真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵らが経文を読んで言うには 「大日経と法華経とは理が同じで、同じく共に六難のうちの経である」 と。 日本の弘法(こうぼう)が呼んで言うには 「大日経は法華経に説く六難九易(ろくなんくい)のうちに入らない。 大日経は釈迦が説いた一切経の外(ほか)の経であり、法身(ほっしん)仏・ 大日如来が説いたものである」 と。 又、ある人が言うには 「華厳経は報身如来の説いたものであり、六難九易のうちに入らない」 と。 日蓮は嘆(なげ)いて言います。 上(かみ)にあげた諸人の主張する義を躊躇(ためら)わず間違いである、 と言ったらなら、今の世の諸人(しょにん)は顔を向けるはずもありません。 さらに非に非を重ね、最後には国王に事実を曲げて悪く訴え、 その迫害は命にまで及ぶでしょう。 ただし、我々の慈父(じふ)釈尊が沙羅雙樹林(しゃらそうじゅりん)で 最後に説かれた御遺言ともいうべき涅槃(ねはん)経には 「仏の説いた法に依るべきであって、人師らの立てた義に依ってはならない」 等とあります。 「人師らに依ってはならない」等というのは、 釈尊滅後、衆生の依りどころとなる初依・二依・三依・四依の人師の事で、 普賢(ふげん)・文殊(もんじゅ)らの菩薩の最高位である等覚(とうがく)の菩薩が 法門を説かれたとしても、経巻を手に握らない、 即ち仏説に依らないのは用いてはならないという事です。 又、 「了義経に依るべきであって、不了義経に依ってはならない」と定めて、 経の中にも仏法の極理(ごくり)が完全に説き明かされた了義経と、 そうでない不了義経をよく糾明(きゅうめい)して信受すべきである、 とあります。 竜樹菩薩の「十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)」には 「修多羅黒論(しゅたらこくろん=仏の説いた真実の教説に依らない邪論:権教) に依らず、修多羅白論(しゅたらびゃくろん=仏の説いた正論:法華経の事) に依るべきだ」 等とあります。 天台大師は「法華玄義」に 「仏の説いた教法と合致するものは、抄録(しょうろく)してこれを用いよ。 しかし経文も義もないものは信受してはならない」 等と述べています。 伝教大師は「法華秀句」に 「仏説に依り頼むべきで、口伝に依ってはならない」 等といっています。 円珍智証(えんちんちしょう)大師は「授決集」で 「文(もん)に依って伝えるべきである」等といっています。 上(かみ)にあげたところの諸師の解釈は、 皆、一分は経論に依って勝劣を弁(わきま)えた様に見えますが、 皆、自宗の義を堅く信受して、それぞれの先師の誤った義を正していません。 ですから私情に執着し仏意を曲げて経文を解釈した勝劣であり、 自分の立てた義に勝手な理屈をつけて飾り立てた法門です。 釈尊滅後における外道の犢子(とくし)・方広(ほうこう)や、 仏法が中国へ伝来した後漢以後の外典は、仏法を知らない外道の見解よりも、 又、三皇・五帝の儒書よりも、仏法を盗用している為その邪見は強盛であり、 邪法は巧(たく)みです。 同じ様に、華厳・法相・真言などの人師は、 天台宗の正義(しょうぎ)をねたんで、実経たる法華経の文を勝手に解釈し、 華厳・法相・真言などの権教の義に順応させる事が盛んです。 しかしながら、 真に仏道を求める心のある人は、偏った主義・主張を捨て、 自宗・他宗だと争わず、人を侮(あなど)ったりしてはなりません。 法華経法師品には 「巳(すで)に説き(爾前経)、今説き(無量義経)、 当(まさ)に説こうとする(涅槃経)経々の中で法華経が最も信じ難く理解し難い」 等とあります。 この文を妙楽が解釈して「法華文句記」に 「法華経以外の経において、例え諸経の王であるとはいっても、法華経の様に、 巳(すで)に説き、今説き、当に説こうとする経々の中で最第一であるとは言っていない」 等と述べています。 又、同じく妙楽は「法華玄義釈籤(ほっけげんぎしゃくせん)」に 「法華経は、巳(い)・今(こん)・当(とう)の三説の全てに 超過した妙法であるにも関わらず、この点において固く迷い、 その謗法の罪による苦しみは未来長遠に流れ続いていくのである」 等と述べています。 この経文とその解釈に驚いて、一切経並びに 220p 人師達の解釈書を改めて見たところ、 疑い躊躇(とまど)う心が解けました。 いま真言宗の癡(おろか)な者達が、真言宗に印と真言がある事を頼りにして、 真言宗は法華経より勝れていると思い、 慈覚大師らが真言は勝れていると言われたのだから間違いない、 などと思っているのは、言うも甲斐(かい)ない事です。 密厳経には 「華厳経十地品の別訳である十地華厳経と 大樹緊那羅所問経(だいじゅきんならしょもんきょう)と 菩薩行方便境界神通変化経(ぼさつぎょうほうべんきょうがいじんつうへんげきょう)・ 勝鬘(しょうまん)経及び、その他の諸経は皆この密厳経から出たものである。 この様な密厳経こそは一切経の中に勝れたものである」 等とあります。 大雲経には 「この経は、即ちこれ諸経の中の転輪聖王(てんりんじょうおう)である。 どうしてかというと、この経典のなかに衆生の実性(じっしょう)や 仏性の常住という法を説いているからである」 等とあります。 六波羅蜜経には 「いわゆる過去の無数の諸仏が説いた正法及び我が今説くところの、 いわゆる八万四千の諸々の妙法の集まりを、おさめ整えて五種に分ける。 一には索咀纜(そたらん=経蔵)即ち仏の教説を記(しる)し留めたもの、 二には毘奈耶(びなや=律蔵)即ち戒律を集めたもの、 三つには阿毘達磨(あびだるま=論蔵)即ち仏の教説を論議注釈したもの、 四には般若波羅蜜(はんにゃはらみつ=慧蔵)即ち仏の智慧を説いたもの、 五には陀羅尼門(だらにもん=秘密蔵)即ち上の四によって救われない衆生を 成仏させる経である。 この五種類の法蔵をもって一切の有情(衆生)を教化する。 もし彼(か)の有情が、仏法を理解する機根が鈍くて契経(かいきょう=経蔵)・ 調伏(ちょうぶく=律蔵)・対法(たいほう=論蔵)・ 般若(慧蔵)を受持する事が出来ず、あるいはまた有情が、諸々の悪業である、 四つの重罪、八つの重罪、無間地獄に堕ちる五つの罪、 また大乗経を謗(そし)る一闡提(いっせんだい)らが種々の重罪を作ったとしても、 これらの罪を消滅して速(すみ)やかに解脱させ、すぐに悟りを得させる事が出来る。 そしてこれらの重罪の者の為に諸々の陀羅尼蔵(だらにぞう)を説くのである。 この五つの法蔵は例えば、乳(にゅう)・酪(らく)・生蘇(しょうそ)・ 熟蘇(じゅくそ)及び妙味(みょうみ)の醍醐(だいご)の様なものである。 第五の陀羅尼蔵(だらにぞう)即ち総持門(そうじもん)とは 例えば醍醐(だいご)の様なものである。 醍醐(だいご)の味は 乳(にゅう)・酪(らく)・生蘇(しょうそ)・熟蘇(じゅくそ)の中では 微妙(びみょう)第一で、よく諸々の有情の身心を安楽にさせる。 それと同じ様に、総持門とは契経(かいきょう)等五蔵の中では最も第一であり、 よく有情の重罪を除くのである」 等とあります。 解深密経(げじんみつきょう)には 「その時に勝義生(しょうぎしょう)菩薩はまた仏に申し上げた。 世尊は、はじめ第一に、かつて中インド・波羅痆斯国(はらなつしこく)の 鹿野苑(ろくやおん)の中にいて、 ただ声聞乗(小乗教)を修行する心を発(おこ)す者の為に 苦(く)・集(じゅう)・滅(めつ)・道(どう)の四つの真理の相をもって 正法を説かれた。 その法は非常に不思議であり、また非常に稀(まれ)な事である。 一切の世の中の諸々の天・人達で、 仏より先にこの法の様に説いた者はなかった程素晴らしい法であった。 しかし、その時に説かれた仏の教えは、まだ上があり、 他からの批判を容(い)れる余地があり、 未だ完全に真実の義が説かれたものでは無かった。 それ故にこの法は諸々の論争の元となった。 世尊は、昔第二の説法において、ただ心を発(おこ)して 大乗を修行しようとする者の為に、 221p 一切の法は皆それ自体の固有の本性はなく、生じる事も滅する事もなく、 本来、寂静(じゃくじょう)で、性分そのままが涅槃の相であると説かれた。 これは仏の本意を経文の中に隠して正法を説かれたのである。 これは更に、非常に不思議でまったく稀な法であるが、 彼(か)の時に説かれた仏の教えも又、 まだ上があり、他からの批判を容れる余地があり、 尚未だ完全に真実の義が説かれたものでは無かった。 それ故、この法も諸々の論争の元となった。 そして世尊は、今第三時の説法において、 あまねく一切乗(いっさいじょう) 即ち一切衆生の成仏を説く教えを求める心を発(おこ)す者の為に、 一切の法は皆、それ自体の固有の本性は無く、生じる事も滅する事もなく 本来、寂静(じゃくじょう)で、性分そのままが涅槃の相であり、 固有の本性などというものの無い性(しょう)を説かれた。 しかも仏の悟りを経文上にはっきりと示して正法を説かれた。 これこそ第一の非常に不思議であり、最も稀(まれ)な法である。 今世尊が説かれたところの仏の教えこそ、これ以上のものは無く、 他からの批判を受け容れる余地の無い法で、 これこそ真に仏法の極理が完全に説き明かされたものである。 諸々の論争が起こる事も無いのである。」 等と説かれています。 大般若経には 「聴聞するところの世間・出世間の法に従って、 それらを皆よく方便として 般若甚深(はんにゃじんじん)の理趣(りしゅ)に会入(えにゅう)し、 諸々の造作するところの世間の事業(じごう)も又、 般若をもって法性の一理に会入(えにゅう)し、 一事として法性の外に出るものは無い」 等とあります。 大日経第一には 「秘密主(金剛薩埵)よ、大乗の修行がある。 それは無縁乗の心、即ち法にとらわれない心を起こして、 一切の法にはそれ自体に具(そな)わった性はない、と修行するのである。 どうしてかといえば、彼(か)の昔、この様に修行した者が、 五蘊(ごうん)が仮に和合している万法の 根元(こんげん)に具(そな)わっている第八識の阿頼耶(あらや)を観察して、 それ自体の固有の性は幻の様なものだと知ったからである」 等とあります。 又、大日経には 「秘密主よ、彼はこの様に無我を捨てて、心の主体に自在の境地を得て自心(じしん)は 本来、不生不滅(ふしょうふめつ)である事を覚ったのである。」 等と。 更に 「いわゆる空性というのは、六根・六境を離れ、姿や形も境界も無く、 諸々(もろもろ)の戯論(けろん)を超越して、 虚空(こくう)の様に無相で一切のものを包含(ほうがん)するに等しい。 そして一切の法は互いに縁によって起こるのでり、それ自体の本性は無いと極める」 等と説いています。 更に又 「大日如来は秘密主に告げていった。 秘密主よ、菩提(ぼだい)とはどの様なものかといえば、 実のごとく自心を知る事である」 等と言っています。 華厳経には 「一切の世界の諸々の衆生の中で、声聞乗を求めようと望む者は少ない。 縁覚を求める者は更に少ない。大乗を求める者は非常に稀である。 しかし、大乗を求める者は非常に稀であるが、 それでもまだ易しい事であり、よくこの法を信じる事はより非常に難しい事である。 ましてよく受持し、正しく心中に銘記し念じ続け、説の通り修行し、 真実に理解する事は尚更(なおさら)難しい事である。 もし、三千大千世界を頭の頂に乗せて一劫という極めて長い間、 身動きしないとしてもその様な振る舞いは未だ難しい事では無い。 この法を信じる事はそれ以上に大変難しいのである。 又、大千世界を塵(ちり)にした程多くの衆生達に一劫という長い間、 諸々の楽具を供養しても、その功徳は未だ勝れたものではない。 この法を信じる功徳はそれ以上に勝れているのである。 もし、手の平の上に十のぶ仏国土をもって虚空の中に一劫の間留まる事が出来ても、 その振る舞いは未だ難しい事では無い。 この法を信じる事はそれ以上に大変難しいのである。 十の仏国土を塵(ちり)にした程多くの衆生達に一劫の間、 諸々の楽具を供養したとしても、その功徳は未だ勝れているとは言えない。 この法を信じる功徳はそれ以上に大変勝れているのである。 又、十の仏国土を塵(ちり)にした程多くの諸々の如来を、 一劫の間慎(つつ)み敬(うやま)い供養したとしても、 もしよくこの品(ほん)を受持する者の功徳はそれ以上に最も勝れているのである」 等と説かれています。 涅槃経には 「この諸々の大乗方等経典は又計り知れない程の功徳を成就するけれども、 この経の功徳に比べようとすると、例える事すら出来ない。 百倍、千倍、百千万倍、あるいは数の例えも適わない程勝れている。 善男子よ、例えば牛から乳を出し乳より酪(らく)を出し、 酪(らく)より生蘇(しょうそ)を出し、 222p 生蘇(しょうそ)より熟蘇(じゅくそ)を出し、 熟蘇(じゅくそ)より醍醐(だいご)を出す。 そして、その醍醐(だいご)は最上である。 もしこの醍醐(だいご)を服用する者は、諸々の病を皆取り除く事が出来るので、 あらゆる諸薬がことごとく醍醐の中に入っている様なものである。 善男子よ、仏も又これと同じである。 仏より十二部の経を出し、十二部の経より修多羅(しゅたら=般若時の教説)を出し、 般若波羅密より大涅槃(涅槃経の教説)を出すのである。 その大涅槃はあたかも醍醐の様なものである。 醍醐というのは、即ち仏性に例えるのである。」 等と説かれています。 以上のこれらの経文を、 法華経に説かれている「巳今当(いこんとう)」「六難九易(ろくなんくい)」の文に 相対してみますと、月に星を並べ、 九山に須弥山(しゅみせん)を並び合わせたのに似ています。 しかし、華厳宗の澄観(ちょうかん)、法相宗の慈恩、三論宗の嘉祥(かじょう)、 真言宗の弘法ら、仏眼を具えた様に思われている人でさえ、この文に迷いました。 まして盲目の様な状態の今の世の学者らが、 経文の勝劣を弁(わきま)える事が出来るでしょうか。 黒と白の様に明らかであり、 須弥山(しゅみせん)と芥子(けし)粒の様に明確な勝劣でさえ、尚迷っています。 まして虚空の様な理に迷わない事があるでしょうか。 教えの浅深(せんじん)を知らないで、 そこに説かれている理の浅深を弁(わきま)える事は出来ません。 法華経と他の経は巻(まき)も隔(へだ)たっており、 文も前後しているので、 教えの高低・浅深の様子を弁(わきま)える事が難しいでしょうから、 文を出して愚者を助けようと思います。 王といっても小王と大王があり、一切といっても部分と全体の意味があり、 五乳(ごにゅう)にも、仏教全体を五乳に例える全喩(ぜんゆ)と、 教説の一部分について五乳に例える分喩(ぶんゆ)がある事を 弁えなければなりません。 例えば六波羅蜜(ろくはらみつ)経には、一切衆生の成仏は一応説いていますが、 無仏性(むぶっしょう)即ち二乗と一闡提(いっせんだい)の者の成仏は 説いていません。 まして久遠実成を明かしている訳がありません。 この点からみても、六波羅蜜経は尚、涅槃経の五味にも及びません。 ましてや法華経の迹門や本門に相対出来るはずがありません。 ところが日本の弘法大師はこの六波羅蜜経の経文に迷って、 法華経を五味のうちの第四の熟蘇味(じゅくそみ)に入れたのです。 六波羅蜜経で説く第五の総持門(そうじもん)の醍醐味(だいごみ)でさえ 涅槃経の醍醐味に及ばないのに、これは一体どうしたのでしょうか。 それなのに弘法は「弁顕蜜(べんけんみつ)二教論」で 「中国の人師(にんし)は競ってこの経の醍醐を盗んだ」と、 天台大師らを盗人(ぬすびと)であると書いています。 更に「惜しい事に、古(いにしえ)の賢人は醍醐を嘗(な)めていない」などと、 自分で自分を褒(ほ)め称えています。 これらの誤った意見は暫(しばら)くおいて、我が一門の者の為に記しておきましょう。 他宗の人は信じないので、逆縁即ち正法を謗(そし)って地獄へ堕ちるが、 かえって仏縁を結ぶ事になるでしょう。 一滴の水を嘗(な)めただけで大海の塩味を知り、 一つの花が咲いたのを見て春の訪(おとず)れを推(お)し量りなさい。 万里を渡って宋の国まで行かなくても、 中国の法顕(ほっけん)の様に 三か年かかって霊鷲山(りょうじゅせん)に行かなくても、 竜樹菩薩の様に竜宮にまで行かなくても、 無著(むじゃく)菩薩の様に弥勒菩薩に会わなくても、 法華経の様に二処三会(にしょさんえ)の会座に会わなくても、 釈尊一代仏教の勝劣は知る事が出来るのです。 蛇(じゃ)は七日のうちの洪水を知ると言われていますが、 それは竜の眷属(けんぞく)だからです。 烏(からす)が年中の良い出来事と悪い出来事を知っているのは、 過去世に陰陽師(おんようじ)だったからです。 鳥は飛ぶ性質では人より勝れています。 223p 日蓮は諸経の勝劣を知る事においては華厳経の澄観(ちょうかん)、 三論宗の嘉祥(かじょう)、法相宗の慈恩(じおん)、 真言宗の弘法(こうぼう)よりも勝れています。 それは正師である天台大師・伝教大師の後を承継(しょうけい)しているからです。 澄観・嘉祥・慈恩・弘法達は天台・伝教に帰伏しなかったならば、 謗法の失(とが)を免れる事が出来たでしょうか。 今の世に、日本国で第一番に富んでいる者は日蓮です。 命を法華経に奉(たてまつ)り、名を後代に留めるでしょう。 大海の主となれば諸々(もろもろ)の河の神は皆従います。 須弥山(しゅみせん)の王に諸々の山の神が従わない事があるでしょうか。 法華経の六難九易を弁(わきま)えなければ、 一切経を読まなくても諸経は皆従うのです。 37 二箇の諫勅(かんちょく)を引き一代成仏不成仏を判定する 先に述べた宝塔品三箇の勅宣(ちょくせん)に加えて 提婆品において悪人成仏・女人成仏の二箇の諫暁(かんぎょう)があります。 提婆達多(だいばだった)は正法を信じず、 成仏する機縁の無い一闡提(いっせんだい)でした。 しかし法華経において未来に天王如来となる記別を与えられました。 涅槃経四十巻には、 一切衆生に仏性があると説き一闡提の成仏の理を一応明かしていますが、 その現証は法華経の提婆品にあるのです。 善星比丘(ぜんしょうびく)や阿闍世(あじゃせ)王ら無数の、 五逆罪を犯したり正法を謗(そし)ったりした者の中から、 一つの例を取り上げ頭をあげて、他の全てをそこにおさめ、 枝葉(しよう)を従えたものです。 即ち一切の、五逆罪・七逆罪を犯した者や、 正法を謗(そし)る者や、一闡提が成仏する事は、 提婆達多に天王如来の記別を与えられた事によって明確になりました。 毒薬が変じて甘露となる事であり、 それはあらゆる味に勝れているのです。 また竜女(りゅうにょ)の成仏も竜女一人だけの成仏ではなく、 一切の女人が成仏する事を示しているのです。 法華経以前の諸々(もろもろ)の小乗経には女人の成仏を許していません。 諸々の大乗経には女人の成仏往生を許している様に見えますが、 あるいは女人は身を改めて男となって成仏出来るという改転の成仏であって、 一念三千の成仏即ち即身成仏では無いので、 名だけあって事実の無い成仏往生です。 「一をあげて諸々を例す」といって、 竜女の成仏は末法の女人の成仏往生の道を踏みあけたものです。 儒教で説く孝養はただ今世に限られています。 従って来世の父母を助ける事が出来ないので、儒教などで言われる聖人(せいじん)・ 賢人はその名はあっても実際にはそうではありません。 バラモン外道は過去世・来世を知っていますが、 来世の父母を助ける方法は説かれていません。 仏道こそ父母の来世を助ける事が出来るので、真実の聖賢の名があるのです。 しかし、法華経以前に説かれた大乗・小乗の経々を立てる宗派は、 自分自身の成仏さえ尚叶う事は難しい。 まして父母を助ける事は尚更の事です。 成仏といっても只その文があるだけで実義はありません。 今法華経の時に至って、女人が成仏する時、悲母(ひも)の成仏も実証され、 提婆達多の悪人が成仏するとき、 慈父(じふ)の成仏も実証されたのです。 ですから、この法華経こそ仏教典内の孝経(こうきょう)ともいうべきです。 以上で二箇の諫暁は終わります。 38 三類の強敵(ごうてき)を顕す 以上、宝塔品の三箇の勅宣(ちょくせん)と 提婆品(だいばほん)の二箇の諫暁(かんぎょう)、 合わせて五箇の仏の御金言に驚いて、勧持品で釈尊滅後の弘経の誓いがありました。 明鏡である経文を出して、 今の世の禅・律・念仏者並びにその檀那(だんな)達の謗法を知らせましょう。 日蓮という者は去年の九月十二日、 子丑(ねうし)のの時に首をはねられました。 即ち凡夫の肉身は竜(たつ)の口で断ち切られ、 久遠元初の自受用報身如来(じじゅゆうほうしんにょらい)と現れて佐渡の国へ至り、 翌年の二月、雪深い中でこの「開目抄」を書き記(しる)して、 鎌倉の有縁(うえん)の弟子達は、 法華経を弘通する大難を思って怖(お)じ恐れるでしょうが、 日蓮と同じく広宣流布の決意を固めている者は決して恐ろしくはありません。 しかし、その決意が無くてこの書を見る人はどれ程恐れる事でしょうか。 これは釈迦・多宝・十方の諸仏が未来の日本国、 即ち日本の今の世を映し出す明鏡です。 ですから日蓮の形見とも見ていきなさい。 224p 勧持品には次の様にあります。 「ただ願うところは世尊よ、心配しないで頂きたい。 釈尊が入滅された後、恐るべき悪世の中において、 我々は広く法華経を説き弘通するであろう。 諸々の無智の人があって、法華経の行者の悪口を言ったり、罵(ののし)ったり、 及び刀や杖で打つなどする者があるであろう。 しかし我らは皆、それを耐え忍ぶであろう。 末法悪世の中の僧は邪(よこしま)な智慧に長けて、 心が曲がって媚(こ)び諂(へつら)い、 未だ何も解っていないのに悟りを得たと思い、自分を慢ずる心が充満している。 あるいは人里離れた静かな所に 袈裟(けさ)・衣(ころも)を付けて閑静(かんせい)な座にいて、 自ら真の仏道を行じていると思いこみ、 世間の事にあくせすする人間を軽んじ卑(いや)しむ者があるであろう。 そして、私腹をこやし、金品を貪(むさぼ)る為に、在家の人達に法を説いて、 世間からあたかも六神通を得た聖者の様に慎(つつし)み敬われるであろう。 この人は悪心を抱(いだ)き、常に世俗の事に思いをよせ、 閑静な座にいる事に名を借りて、 好んで正法の行者(ぎょうじゃ)の過(あやま)ちを並べ立てるであろう。 常に人々の中にあって、正法を持(たも)つ者を謗(そし)る為に、 国王・大臣・バラモン・居士(こじ)、及びその他の僧達に向かって、 正法の行者を謗(そし)って悪を作り上げて説き、 「これは邪(よこしま)な思想を持った人で、外道の論議を説いている」 と言うであろう。 濁った悪世である末法には諸々(もろもろ)の恐怖がある。 邪宗邪義の悪鬼が国王や大臣などの身に入って 正法の行者を罵(ののし)ったり、謗(そし)り辱(はずかし)めるであろう。 濁世末法の悪僧侶(あくそうりょ)達は、 方便・権経は仏が衆生の機根に従って説いたものである事を知らないでこれに執着し、 返って正法である法華経の行者の悪口を言い、 顔をしかめて憎み、しばしば正法の行者を追い出すであろう」 等と。 妙楽大師はこの法華経の文を解釈して「法華文句記」の八に次の様に言っています。 「この勧持品の文は三つに分けられる。 始めの一行は通じて邪見の人を明かしたもので、 即ち俗衆(ぞくしゅう)増上慢である。 次の一行は道門(どうもん)増上慢の者を明かしている。 第三に後の七行は僭聖(せんしょう)増上慢の者を明かしている。 この三つの中で、初めの俗衆増上慢の迫害は耐え忍ぶ事が出来る。 次の道門増上慢の迫害は第一に過ぎている。 第三のの僭聖増上慢の迫害は最も甚(はなは)だしい。 後々の者程、ますますその謗法が解り難いからである」 等とあります。 「東春(とうしゅん)」に智度(ちど)法師が言うには、 「初めに『有諸(うしょ)』から下の五行において、 第一に最初の一偈(いちげ)は身(しん)・口(く)・意(い)の三業(ごう)の悪、 即ち刀や杖による迫害や怨嫉(おんしつ)を忍ぶ事を明かしている。 この難を加えるのは出家外の在家の悪人、即ち俗衆増上慢である。 次に『悪世』から下の一偈は、 上慢(じょうまん)の出家の人、即ち道門増上慢を明かしている。 第三に『惑有阿練若(わくうあれんにゃ)』から下の三偈は即ち僭聖増上慢で、 出家の所に一切の悪人を摂(せっ)する」 等と。 又「『常在大衆』より下の二行は 公(おおやけ)の場所即ち国王・大臣などの国家権力者に向かって正法を謗(そし)り、 その行者の悪口を言うと説いている」 等とあります。 涅槃経の九には 「善男子(ぜんなんし)よ、一闡提の者が阿羅漢(あらかん)の姿を装(よそお)って、 人里離れた静かな寺などに住み、大乗経を謗(そし)るであろう。 諸々の凡夫人はこれを見て、皆、これこそ真の阿羅漢であり 大菩薩であると言うであろう」 等とあります。 又同じく涅槃経に 「その時に、この経が世界中において広く流布するであろう。 この時に諸々の悪い僧があってこの経を切り取って多くの部分に分け、 正法の勝れた色と香(かおり)と味を滅するであろう。 この諸々の悪人は、この様な大乗経典を読誦(どくじゅ)するとはいっても、 如来が説こうとする深い真意を滅除(めつじょ)して、 世間にありふれている、美しく立派に飾りたてた文や無意味な言葉を付け加える。 経文の前をとって後に著(つ)け、後をとって前に著(つ)け、 また前と後を中に著(つ)けたり、中を前後に著(つ)けたりする。 当(まさ)に知るべきである。 この様な諸々(もろもろ)の悪僧こそ魔の仲間である。」 等とあります。 225p また六巻の般泥洹経(はつないおんぎょう)には 「阿羅漢(あらかん)に似た一闡提(いっせんだい)の者があって悪業を行じる。 これと反対に一闡提に似た阿羅漢があって慈悲心を起こすであろう。 阿羅漢に似た一闡提があるというのは、 この諸々の衆生の中で大乗経を謗(そし)る者をいうのである。 一闡提に似た阿羅漢とは声聞を謗(そし)り咎(とが)めて広く大乗を説く者である。 そして衆生に語って言うには、 我は汝達と共にこれ菩薩である。 何故かと言えば、一切衆生皆仏の性分があるからである、と。 しかし、それを聞いた衆生はかえって一闡提であると言うであろう」 等とあります。 涅槃経には 「仏が入滅した後、正法時代が過ぎた後、像法時代において、 次の様な僧が現れるであろう。 それは、形は戒律(かいりつ)を持(たも)っている様に見せかけて、 少しばかり経文を読み、食べ物をむさぶって我が身を養っている。 その僧は、袈裟(けさ)を身にまとっているけれども、 信徒の布施を狙う有様は、猟師が獲物を狙って、 細目に見て静かに近づいていく様であり、 猫がネズミを捕らえ様としている様なものである。 そして、常に『自分は羅漢の悟りを得た』と言うであろう。 外面は賢人・善人の様に装(よそお)っているが、 内面は信徒の布施を貪(むさぼ)り、 正法を持(たも)つ人に嫉妬心を強く抱いている。 法門の事など質問されても答えられない有様は、 ちょうど啞法(あほう)の修行で黙りこんでいるバラモン達の様である。 実際には、正しい僧侶でも無いのに僧侶の姿をしており、 邪見が非常に盛んで正法を謗(そし)るであろう」 等と説かれています。 39 三類について述べる 霊鷲山(りょうじゅせん)と沙羅双樹林(しゃらそうじゅりん)で説かれた、 日月の様に明らかな法華経と涅槃経、 毘陵(びりょう)に住んだ妙楽大師や、 東春(とうしゅん)に住んだ智度法師の明鏡の様な釈書に照らして、 今の世の諸宗、並びに国中の禅・律・念仏者達の醜い姿を映し浮かべてみますと、 一分の曇りも無く明らかです。 妙法蓮華経勧持品に 「仏が滅度した後、恐るべき悪い時代において」、 安楽行品に 「後の悪世において」、又「末世の中において」、 又「後の末世の、法が滅亡しようとする時において」、 分別功徳品に「悪世である末法の時」、 薬王品に「後の五百歳」などと説かれています。 正法華経の観説品に 「然るに後の末世に」、又「然るに後の来末世に」 などと説かれています。 添品(てんぽん)法華経にも同じ様に説かれています。 天台大師は 「像法時代のうちの南三北七の諸宗派は法華経の怨敵である」 と言っています。 伝教大師は 「像法時代の末の、奈良の六宗の学者らは法華の怨敵である」 等と言っています。 しかし、天台・伝教の時は、像法時代であり、 怨敵の姿はまだ明らかではありませんでした。 今末法については、教主釈尊と多宝仏は宝塔の中に太陽と月が並んだ様に座り、 十方の分身の諸仏は宝樹(ほうじゅ)の下(もと)に星を連(つら)ねた様に並んだ中で、 正法時代一千年、像法時代一千年の二千年が過ぎた末法の始めには、 法華経の怨敵が三種類あるであろう、と 八十万億那由侘(はちじゅうまんのくなゆた)という多数の諸菩薩の定められた事が、 どうしてウソ偽りとなるでしょうか。 当世は釈尊の滅後二千二百余年です。 大地を指差して外れる事があっても、春に花が咲かない事があっても、 三類の敵人(てきじん)は必ず日本国にあるはずです。 そうであるなら、どの様な人々が三類の敵人のうちに入るのでしょうか。 又誰人が法華経の行者であると指されるのでしょうか。 心もとない事です。 あの三類の怨敵のうちに、我々は入っているのでしょうか。 あるいは又法華経の行者のうちに入るのでしょうか。 心もとない限りです。 中国・周の第四代昭王の時代二十四年四月八日の夜中に、 天に五色の光気が南北に輝き亘って、真昼の様に明るくなりました。 その時、大地は六種に震動し、 226p 雨も降らないのに江河(こうが)や井戸・池の水が増え、 全ての草木に花が咲き実がなりました。 実に不思議な事でした。 昭王は大変に驚きました。 そこで大史職(たいししょく)の蘇由(そゆう)が占って言いました。 「西方に聖人が生まれたのでございます」 と。 昭王は尋ねて言いました。「この国にはどうか」と。 それに答えて 「何事もないでしょう。 しかし、千年の後にかの聖人の言説がこの国に伝えられて衆生を利するでしょう」 と言いました。 あの外典の、見思惑(けんじわく)でさえ未だ毛筋ほども断ち切っていない者で あるにも関わらず一千年後の事を知っていました。 はたして仏教は千十五年の後、後漢の第二代明帝の永平十年 丁卯(ひのとう)の年に中国へ渡りました。 この法華経の予言は外典の蘇由(そゆう)の予言など比べものにならない程勝れた、 釈迦・多宝・十方分身の仏の御前(おんまえ)で誓った諸菩薩の未来記です。 ですから、今の世の日本国に三類の法華経の敵人が無い訳があるでしょうか。 釈尊は付法蔵経などに記して 「我が滅後に正法時代一千年の間、 我が正法を弘(ひろ)めるべき人二十四人が順に受け継いでいくであろう」 と言われています。 迦葉(かしょう)・阿難(あなん)達はさておいて、 百年後の脇比丘(きょうびく)、六百年後の馬鳴(めきょう)菩薩、 七百年後の竜樹菩薩達は、仏の予言に少しも違(たが)わず、 既に出現されました。 末法に法華経の行者と三類の敵人(てきじん)が出現するとの予言が どうして嘘であるでしょうか。 この事が仏説に相違するなら、一経全てが相違してしまうでしょう。 いわゆる舎利弗が未来に華光(けこう)如来に、 迦葉(かしょう)が光明(こうみょう)如来になるという事も、 皆嘘偽(うそいつわ)りの言葉となるでしょう。 そうしますと、爾前経がかえって真実の決定的な教えとなって、 舎利弗(しゃりほつ)らは永久に成仏出来ない声聞達となります。 犬や野干(やかん)を供養しても、 阿難(あなん)ら声聞を供養してはならないという事になります。 一体どうしたものでしょう。 40 別して俗衆(ぞくしゅう)・道門(どうもん)を明かす まず第一の怨敵の「諸々の無智の人あって」というのは、 経文中の第二類の「悪世の中の比丘(びく)」と、 第三類の「納衣(のうえ)の比丘」の教えを信じている大檀那達であると見えます。 従って妙楽大師はこの大一類を「俗衆増上慢」と言っています。 又、智度法師は「東春(とうしゅん)」に 「公(おおやけ)の場所即ち国王・大臣らの国家権力者に向かって」 等と言っています。 第二類の法華経の怨敵(おんてき)は、経文に 「末法悪世の中の僧は邪(よこしま)な智慧に長けて、 心が曲がって媚(こ)び諂(へつら)い、 未だ何も解っていないのに悟りを得たと思い、自分を慢ずる心が充満している」 等とあります。 これについて涅槃経には 「この時に諸々の悪い僧があるであろう。 そしてこの諸々の悪人は、この様な大乗経典を読誦するとはいっても、 如来が説こうとする深い真意を滅除する」 等と説かれています。 「摩訶止観(まかしかん)」には 「もし法華経に対して信心の無い者は、 法華経は聖者が修行する高い教えで自分の様な智慧の無い者には用は無いと言う。 又、もし真実の智慧の無い者は増上慢を起こして自分は仏に均しいと思う」 等とあります。 道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は「安楽集」に法華経を捨てるべき理由として 「第二に、理が深くて下根の末法の衆生には理解出来ない事による」 等と言っています。 法然は「選択集(せんちゃくしゅう)」で 「念仏以外の諸々の修行は衆生の機根に合わず、時代が適していない」 等といっています。 妙楽は「法華文句記」の十に 「おそらく法華経を誤って理解する者は、初心の功徳の大きい事を知らないで、 その功徳を上位の聖者(せいじゃ)に譲(ゆず)り、 初心の功徳をないがしろにするであろう。 だから今、初心の修行を浅くしてしかもその功徳が深い事を示し、 法華経の功徳力を顕そう」 等と言っています。 伝教大師は「守護国界章」に 「正法・像法時代は後少しで過ぎ終わり、 227p 末法がはなはだ近くに来ている。 一仏乗の法華経によって一切衆生が即身成仏するのは、今まさしくこの時である。 どうしてそれを知る事が出来るのかといえば、 安楽行品に『末世において法が滅する時に』とあるからである」 等といっています。 恵心(えしん)は「一乗要決(いちじょうようけつ)」で 「日本国中は円経である法華経を求める機根ばかりである」 等といっています。 道綽(どうしゃく)と伝教と法然と恵心とは反対の 事を言っていますが、 どちらを信じるべきでしょうか。 道綽と法然(ほうねん)の主張は一切経に証文がありません。 伝教と恵心の主張は正しく法華経に依(よ)っています。 その上、日本国一同にとって、 比叡山の伝教大師は戒を授けられた受戒の師です。 どうして天魔のついた法然に心を寄せ、 自分の受戒の師である伝教を捨てるのでしょうか。 法然が智者であるなら、 何故天台や妙楽、伝教や恵心らの解釈を「選択集」に載せて、 道筋を立てて道理を明らかにしなかったのでしょうか。 それをしなかった法然の主張は人の道理を隠すものです。 従って、経文の第二類の「悪世の中の比丘」と指されているのは、 法然ら無戒・邪見の者の事です。 涅槃経に 「法華経以前に我々ことごとく邪見の人と名づける」 等とあります。 妙楽は「法華玄義釈籤(ほっけげんぎしゃくせん)」で 「自ら法華経以前の蔵・通・別の三教を指して皆邪見と名づける」 等と言っています。 天台の「摩訶止観(まかしかん)」には 「涅槃経に、これより以前は、我々は皆邪見の人と名づけるとある。 邪(じゃ)とは即ち悪ではないか」 等とあります。 妙楽の「止観輔行伝弘決(しかんふぎょうでんぐけつ)」には 「邪(じゃ)は即ちこれ悪の事である。 この故に、ただ円経を禅となす事を知るべきである。 これに又二つの意味がある。 一には実相に順(したが)うを善となし、実相に背(そむ)くを悪となす。 これは比較相対して勝劣を判ずる相待妙(そうたいみょう)の意である。 二には、円に執着するを悪となし、円に達するを善となす。 これは絶待妙(ぜったいみょう)の意である。 この様に相待・絶待共に悪を離れるべきである。 円に執着する事でさえ尚悪である。 ましてその他のものに執着する事は尚更である。」 等とあります。 外道の善悪は、小乗経に対すれば共に皆悪道であり、 小乗経の善道及び爾前(にぜん)の四味三教は法華経に対すれば皆邪悪であり、 ただ法華経のみに正善(しょうぜん)です。 爾前(にぜん)経に説かれた円経は相待妙です。 絶待妙に対すれば尚悪です。 又爾前の円経は前三教に摂するので尚悪道です。 爾前経に説かれている通りに爾前経の極理(ごくり)を行じても尚 悪道なのです。 まして観無量寿経など、華厳経や般若経などにも及ばない小法を基(もと)として、 法華経を観無量寿経に取り入れて、 かえって念仏に対して法華経を閣(さしお)き、 抛(なげう)ち、閉(と)じ、捨(す)てさせたという事は、 法然並びにその化導を受けた弟子達、檀那達は正法を誹謗する者ではないでしょうか。 釈迦・多宝・十方の諸仏は 「法華経を永久に存続させる為に法華経の会座に来られた」 のです。 しかし、法然並びに日本国の念仏者達は 「法華経は末法には念仏より先に滅びる」 と言っています。 これこそ釈迦・多宝・十方分身の諸仏の怨敵ではないでしょうか。 41 第三の僭聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)を明かす 第三類の怨敵は法華経に次の様に説かれています。 「あるいは人里離れた静かな所に袈裟(けさ)・衣(ころも)をつけて 閑静(かんせい)な座にいて、在家の人達に法を説いて、 世間からあたかも六神通を得た聖者の様に慎(つつし)み敬(うやま)われるであろう」 等と。 六巻の般泥洹経(はつないおんきょう)もは次の様にあります。 「阿羅漢に似た一闡提(いっせんだい)の者があって悪業(あくごう)を行ずる。 これと反対に一闡提に似た阿羅漢があって慈悲心を起こすであろう。 阿羅漢に似た一闡提があるというのは、 この諸々の衆生の中で大乗経を謗(そし)る者をいうのである。
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各社から現代文用語集が出るきっかけを作った、今の現代文用語集の先駆けともいえる本。 解説は簡潔だが、収録語数が多いのが利点。 『ことばはちからダ!』に出ている内容をだいたい押さえているような人にはこちらがお勧め。 対義語や四字熟語などが充実しているので、漢字問題や穴埋め問題にも有効。 ※類書に『大学入試読解と小論文現代文キーワード500』(桐原書店)がある。 選択肢 投票 この本を使ってる! (2) 名前 コメント
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245p 法華経法師品に 「已に説き(爾前経)、今説き(無量義経)、 当に説こうとする(涅槃経経々の中で法華経がもっとも信じ難く、理解し難い)」と。 また、その下に出てくる宝塔品の「六難九易」の文がこれです。 天台大師は法華文句に、 「迹門・本門の二門ともにその説はことごとく昔に説いた爾前経と反しているので信じ難く理解し難い。 戦場で鉾にぶつかっていくように難しいことである」といっています。 章安大師は観心論疏(かんじんろんしょ)に 「仏はこの法華経をもって大事としているのである。どうして理解しやすいわけがあろうか」と。 伝教大師は法華秀句に 「この法華経はもっとも信じ難く理解し難い。 なぜならば仏が悟りの真実をそのままに説いた随自意の教えであるから」 等といっています。 いったい仏の生きておられた時代より滅後千八百余年のあいだ、 インド・中国・日本の三国にわたってただ三人だけがはじめてこの正法を覚知しました。 すなわちインドの釈尊、中国の天台智者大師、日本の伝教大師であり、この三人は仏教における聖人です。 問うていうには、 それでは、インドの竜樹菩薩や天親菩薩たちはどうでしょうか。 答えていうには、 これらの聖人たちは、心の中に知っていましたが、外に向かっていわなかった人たちです。 あるいは迹門の一部の教義を述べて、本門と観心については説き示しませんでした。 あるいはこの時代は一念三千の法門を聞く衆生の機根はあっても 説くべき時代ではなかったのでしょうか。 あるいは機も時もともになかったのでしょうか。 天台、伝教以後は一念三千の法門を知った者が多くありました。 それは天台と伝教の二人の聖人の智慧を用いたからです。 すなわち、三論宗(さんろんしゅう)の嘉祥(かじょう)、 南三北七の各宗の百余人、華厳宗の法蔵や精涼たち、 法相宗の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)や慈恩大師たち、 真言宗の善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵たち、律宗の道宣たちは、 はじめ天台に反逆していましたが、後には天台にまったく帰伏したのでした。 さて十界互具を論難した最初の大難を遮っていうならば、無量義経に次のようにあります。 「たとえば国王と夫人とのあいだに新たに王子が生まれたとする。この王子が一日、二日、 あるいは七日と日がたち、または一ヶ月、二ヶ月、あるいは七ヶ月にいたり、 あるいは一歳、二歳、あるいは七歳になり、いまだ国の政治をとることはできないにしても、 すでに国民に尊び敬われ、多くの大王の子供を伴侶とするようになるであろう。 国王とその夫人の愛心はただただ重く、いつもこの王子と語るであろう。 なぜかというと、この王子は幼く小さいからである。 善男子よ、この経を信じ持つ者もまたそのとおりである。 諸仏という国王とこの経という夫人が和合してこの菩薩の子を生じた。 この菩薩はこの経を聞いて、その一句一偈を、あるいは一回転読し、あるいは二転、 あるいは億万恒河沙・無量無数転読するならば、いまだ真理の究極を体得することはできないにしても、 すでに一切の四部の衆や八部衆に尊び仰がれ、諸々の大菩薩を眷属とし、つねに諸仏に護念され、 ひたすら慈愛におおわれるであろう。それは新学だからである」等とあります。 普賢経には、 「この大乗経典(妙法蓮華経)は諸仏の宝蔵であり十方三世の諸仏の眼目である。 乃至この大乗経典こそ三世の諸の如来を出生する種である。 乃至汝はただひたすらこの大乗経典(妙法蓮華経)を受持し信行を励んで 仏種を断ち切ってはならない」等とあります。 また同じく普賢経に、 「この方等経(方正平等な教え=法華経のこと・妙法蓮華経)は諸仏の眼である。 諸仏はこの方等経を受持し行じた因によって肉眼の上に天眼・慧眼・法眼・仏眼の 五眼を具えることができた。 すなわち諸仏の智慧は完成したのである。 また仏の法身・報身・応身の三身は方等より生じる。 この経こそ真実絶対の仏法であり、涅槃界に印するのである。 このような海中(広大無辺の中)からよく法・報・応の三種の仏の清浄な身を生じる。 この三種の身は人界・天界の衆生に利益をもたらす福田である」等とあります。 246p さて、釈迦如来一代五十年の説法の顕教と密教、大乗教と小乗教の二教、 華厳宗や真言宗等の諸宗がよりどころとしている経々を一つ一つ考えますと、 あるいは華厳経には十方蓮華台上の毘虞舎那仏が説かれ、 大集経には雲のように多く湧き集まった諸仏如来、 般若経には染浄の千仏が示現したと説かれ、 また大日経や金剛頂経などには千二百余尊が説かれていますが、 ただその近因近果を演説するだけで、久遠の本因本果をあらわしていません。 即身成仏を説いても、三千塵点劫、五百塵点劫の久遠の下種を顕さず、 化導がいつ始まっていつ終わったかについては、まったく述べられていません。 華厳経や大日経等は、一往見てみますと、別円、四蔵等に似て成仏できる教えのようですが、 再往これを考えますと、蔵通の二教に同じで、いまだ別教・円教にもおよびません。 一切の衆生に本来具わっている三種の成仏の因が説かれていませんから、 なにをもって成仏の種子とするのでしょうか。 ところが、善無畏三蔵等の新訳の訳者たちは中国に来入した際、天台の一念三千の法門を見聞して、 あるいは自分の持ってきた経経につけくわえたり、 あるいはインドから一念三千の法門を受持してきたなどと主張しました。 天台宗の学者等は、このように天台の法門を盗まれておりながら、 あるいは他宗でも天台と同じように一念三千を説き、自宗に同じであると喜び、 あるいは遠いインドを尊んで近くの中国に出現した天台をあなどり、 あるいは古い天台の法門を捨てて新しい宗派の教義を取り、 というように魔心・愚心が出てきたのです。 しかし、結局は、一念三千の仏種でなければ、有情の成仏も木像・画像の二象の本尊も有名無実です。 問うていうのには、先に人界所具の十界を論難しましたが、いまだその説明を開いていませんが、 どうなのでしょうか。 答えていうのには、 無量義経には、 「いまだ六波羅密の修行をしていなくても、六波羅密は自然に具わってくる」等とあり、 法華経方便品には、 「一切の功徳を具足する道を聞かせていただきたい」等とあり、 涅槃経には 「薩とは具足のことをいう」等とあります。 また竜樹菩薩は「大智度論」に「薩とは六である」等といっています。 中国・唐の均正があらわした「無依無得大乗四論玄義記」には、 「沙とは訳して六という。インドでは六をもって具足の義となすのである」といい、 吉蔵の「法華経硫」には、「沙とは翻訳して具足となす」といい、 天台大師は「法華玄義」に 「沙とは梵語である。中国語では妙と翻訳される」等といっています。 自分勝手に解釈をくわえますと、引用の本文の意をけがすようなものでしょう。 しかし、これらの文の意は、釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に 具わっており、私たちはこの妙法五字を受持すれば、 自然に釈尊の因果の功徳をゆずり与えられるのです。 法華経信解品で、 須菩提、迦旃延、迦葉、目犍連の四人の声聞が説法を聞いて悟りを理解して 「この上ない宝の聚りを、求めないのに自ずから得ることができた」等といっています。 これは私たちの自身の生命のなかの声聞界です。 法華経方便品には 「衆生を私(仏)と等しくして異なることがないようにしたいと、 私(仏)がその昔、願った事は、今はすでに満足した。 一切衆生を教下して、みな仏道に入らせることができたのである」と説かれています。 妙覚の悟りをそなえた釈尊は、 私たちの血肉です。 この仏の因果の功徳は、私たちの骨髄ではないでしょうか。 法華経宝塔品には、 247p 「よくこの経法を守る者は、すなわち私(釈尊)およぴ多宝仏を供養することになる。 またもろもろの集まり来られた化仏のそれぞれの世界を荘厳にし 輝かしく飾っている者を供養することになるのである」等とあります。 この釈迦・多宝十方の諸仏は私たちの仏界であり、妙法を護持する者は、 これらの仏の跡を受け継いで、その功徳を受得するのです。 法師品の 「わずかの間でもこれを聞くならば、すなわち阿耨多羅三藐三菩提を極め尽くす事が出来る」 というのはこれです。 寿量品には 「ところが、私が、じつに成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由佗劫を 経ているのである」等と説かれています。 私たちの己心の仏界である釈尊は、久遠元初に顕れた三身であり、無始無終の古仏です。 同じく寿量品には、 「私が本菩薩の道を修行して成就したところの寿命は、 今なお未だ尽きてはいない。 未来もまたその寿命は上に説いた五百塵点劫の数に倍するのである」等と説かれています。 これは私たちの己心の菩薩等の九界です。 地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なのです。 たとえば大公は周の武王の臣下であり、 周公旦は幼稚の成王の眷属、武内の大臣は神功皇后の第一の臣であるとともに、 仁徳王子の臣下であったようなものです。 上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩等は、地涌の大菩薩の上主唱道の師たちは、 私たち己心の菩薩です。 妙楽大師は「止観輔行伝弘決」に、 「まさに知るべきである。正報である身も依報の国土も、私たち衆生の一念三千とあらわれる。 故に成仏の時にはこの本地難思境智の妙法にかなって、 一身も一念もともに法界に遍満するのである」と説いています。 7 略して本尊を述べる いったい、釈尊が寂滅(じゃくめつ)道場で成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、 沙羅林(しゃらりん)で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間、 華厳経に説くところの浄土である菩薩世界、 大日如来の住む密厳世界、法華経迹門宝塔品で清浄にされた三土、 涅槃経で説く四見の四土などは皆、 成(じょう)劫・住(じゅう)劫・壊(え)劫・空(くう)劫の四劫を繰り返す無常の国土の上に 変化して示された方便土・十報土であり、 寂光土たる阿弥陀仏の安養・薬師如来の浄瑠璃・大日如来の密厳世界等です。 能変の教主すなわちインド応誕の釈尊が涅槃に入ってしまうならば、 所変の諸仏もまた釈尊の入滅に従って滅尽します。 その国土もまた同様です。 いま法華経本門寿量品の説法で説かれた久遠の仏の常住する娑婆世界は 三災におかされることもなく 成・住・壊・空の四劫をぬけでた常住の浄土です。 仏はすでに過去にも滅することはなく、未来に生ずることもない常住不滅の仏であり、 仏の説法を聞いている所化たちも同体で、常住です。 これがすなわち、釈尊の声聞たちの己心の三千具足、三種の世間です。 法華経迹門十四品には、未だこのことを説いていません。 法華経の内においても、時期がまだ熟していなかったからでしょうか。 この法華経本門の肝心である南無妙法蓮華経の五字については、 釈尊は文殊師利菩薩や薬王菩薩等らさえもこれを什嘱されませんでした。 ましてそれ以外の者に付嘱されるわけがありません。 ただ地涌千界の大菩薩を召し出して、 涌出品かた嘱累品までの八品を説いてこれを付嘱されたのです。 その本門の肝心の南無妙法蓮華経の御本尊のありさまは、 久遠の本仏が常住される娑婆世界のうえに宝塔が空中にかかり、 その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏が並び、 釈尊の脇士には上行らの地涌の四菩薩が並び、 文殊菩薩や弥勒菩薩らの迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居り、 迹化の菩薩、多宝の国土の菩薩等大小の諸菩薩は、 万民が大地にひれふして殿上人をあおぎ見るようにして座し、 十方から集まりやってきた分身の諸仏は大地の上に座っておられます。 これは迹仏・迹土をあらわしているからです。 248p このような御本尊は釈尊の在世五十余年のあいだにはまったくありませんでした。 法華経八年のあいだにも涌出品から嘱累品までのただ八品に限られてあらわされました。 正法・像法二千年の間には、 小乗教の釈尊は迦葉と阿難を脇士とし、 権大乗教 及び涅槃経・法華経の迹門等の釈尊は 文殊菩薩や普賢菩薩らを脇士(きょうじ)としています。 これらの仏を、正法、像法時代に造り描きましたが、 未だ寿量品の文底に説かれた仏はあらわされていません。 この寿量品の仏は、末法の時代に入ってはじめてあらわされるべきだからでしょうか。 8 広く本尊を述べる 問うていうには、 正法・像法二千余年の間、正法時代の四依(しえ)の菩薩 及び 像法時代の人師たちは、 阿弥陀や大日などの仏や、 小乗教・権大乗教、爾前経・法華経迹門の釈尊らの寺塔は建立しましたが、 本門寿量品文底下種の大御本尊ならびに四大菩薩については、 インド・中国・日本の三国の王・臣ともに未だ崇重したことがない旨を申されました。 このことはほぼ聞きましたが、前代未聞のため耳目を驚かし、心を迷い惑わすばかりです。 重ねてこれについて説いていただきたい。 詳しく聞きたいと思います。 答えていうには、 法華経の一部八巻二十八品、それ以前には華厳より般若までの前四昧の爾前経、 それ以後には涅槃経などの、釈尊一代に説かれた諸経を総じてこれをまとめると、 ただ一経となります。 はじめ寂滅道場で説かれた華巌経から般若経に至るまでは序分です。 無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分です。 涅槃経等は流通分です。 正宗分十巻の中においてまた序分・正宗分・流通分があります。 無量義経と法華経の序品第一は序分です。 方便品第二から分別功徳品第十七の半ばの十九行の偈に至るまでの十五品半は正宗分です。 分別功徳品の現在の四信の段から普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分です。 また法華経と無量義経・普賢経の十巻においても迹門と本門の二経があり、 それぞれ序分・正宗分・流通分を具えています。 まず迹門においては無量義経と法華経の序品第一は序分です。 方便品第二から人記品第九に至るまでの八品は正宗分です。 法師品第十から安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分です。 その迹門を説いた教主を論じますと、インドに生まれてはじめて成仏した仏です 本無今有の百界千如を説いて 巳説(巳に説き=爾前経)、今説(今説き=無量義経)、 当説(当に説く=涅槃経)に超過している、仏の悟りを自らの意のままに説いた法門であり、 信じがたく理解しがたい正法です。 その説法を開いた衆生の過去の結縁をたずねてみますと、 三千塵点劫の昔に釈尊が大通智勝仏の第十六王子として法華経を説いて、仏界の種を下し、 その時いらい調機調養して、 華厳経等の前四味をの法を助縁として大通の種子を覚知させ得脱させました。 しかし、これは仏の本意ではなく、ただ毒がたまたま効力を発したようなもので、 一部の者だけでした。 大多数の二乗・凡夫たちは前四味の法門を助縁とし、 しだいに法華経にいたって種子をあらわし、開顕を遂げて成仏した機根の人々です。 また釈尊の在世においてはじめて迹門の正宗分八品を開いた人界・天界の衆生らは、 あるいは一句一偈を聞いて下種とし、あるいは熟し、あるいは得脱しました。 あるいは普賢経・涅槃経にいたって得脱し、 あるいは正法・像法時代および末法の初めに、 小乗教や権大乗教等を助縁として法華経に入って得脱しました。 たとえていえば、釈尊在世に前四味の法門を聞いて助縁として得脱した者と同じです。 249p また法華経の本門十四品の一経に序分・正宗分・流通分があります。 涌出品の前半分を序分とし、 涌出品の後半分と寿量晶の一品と分別功徳品の前半分の一品二半を正宗分とします。 その他は流通分です。 この本門の教主を論じますと、 インドに生れてはじめて成仏した釈尊ではありません。 説かれた法門もまた天と地のような違いがあります。 十界の生命が久遠常住であるうえに、国土世間があらわれています。 しかし、文底下種の独一本門に比べると、 本門と迹門の一念三千の相違はほとんど竹膜を隔てるようなわずかなものです。 また本迹ならびに前四味の爾前経、無量義経、涅槃経等の巳・今・当の三説はことごとく 衆生の機根に随って説いた教えで、信じやすく理解しやすく、 それに対し、 本門は 三説に超過した信じがたく理解しがたい、仏の悟りを自らの意のままに説いた法門です。 また文底独一本門において序分・正宗分・流通分があります。 過去大通智勝仏の法華経から、 インドの釈尊が説いた華厳経をはじめ法華経迹門の十四品、 涅槃経などの一代五十余年の諸経も、 十方三世の諸仏が説いた無数の経々も みな寿量品すなわち文底独一本門の南無妙法蓮華経の序分です。 文底下種の一品二半より他は、全て小乗教・邪教・未得道教であり、 真実を覆いかくしている覆相教です。 そのような小乗教・邪教を信ずる衆生の機根を論じますと、 徳が薄く、煩悩の垢は重く、幼稚で、貧しくていやしく、 孤児のように孤独で、禽や獣と同じです。 爾前経や法華経迹門に説かれた「即身成仏」するという円教でさえなお成仏の因とはなりません。 まして大日経などの諸々の小乗教で成仏できるわけがありません。 さらに華厳経や真言宗などの七宗のような論師や人師が立てた宗ではなおのことです。 与えてこれを論じても、 蔵・通・別の三教の範囲を出ず、 奮ってこれをいえば、蔵教や通教と同じです。 たとえその法理は非常に深いといっても、 未だ、いつ下種し、どのように熟し得脱させるかを論じていません。 「かえって小乗教の灰身滅智に同じであり、化導の始終がない」というのがこれです。 たとえば王女であっても畜生の種を懐妊すれば、その子は旃陀羅にも劣っているようなものです。 これらのことはしばらくおいてきましょう。 9 文底下種三段の流通を明かす 法華経の迹門十四品の正宗分である方便品第二から人記品第九までの八品は、 一往これを見てみますと、 釈尊在世の二乗の者をもって正とし、菩薩・凡夫をもって傍としています。 しかし、再往これを考えれば、 凡夫を正とし、仏滅後の正法・像法・末法を正となしています。 正・像・末の三っつの時代の中でも末法の始めをもって正の中の正としています。 問うていうには、その証拠はどうですか。 答えていうには、法華経法師品に、 「しかもこの法華経は、信じ行ずるとき釈尊の現在でさえ なお怨みやねたみが多い。 まして、仏滅後においてはなおさらのことである」と説かれ、 宝塔品には、 「正法を長くこの世にとどめるのである。(中略)また、 法華経の会座に集まり来た分身の諸仏も、このことを知っておられたのである」 等と説かれています。 勧持品・安楽行品などにもこれについて説かれていますから見てみなさい。 迹門はこのように滅後末法のために説かれたのです。 法華経本門について論じますと、 一向に末法の初めをもって正機としています。 すなわも一往これを見るときは、久遠五百塵点劫に仏種を植えられたことをもって下種とし、 その後の大通智勝仏の時や前四味の爾前経、法華経迹門を熱とし、 本門にいたって等覚・妙覚の位に入らせ得脱させました。 しかし再往これを見ますと、本門は迹門とはまったく違って序分・正宗分・流通分ともに 末法の始めをもって詮としています。 釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、 同じく一切衆生が即身成仏できる純円の教です。 ただし在世の本門は脱益であり、末法の始めの本門は下種益です。 在世の本門は一品二半であり、末法の本門はただ題目の五字です。 問うていうには、その証文はどうですか。 答えていうには、法華経湧出品に、 「その時に他方の国土からやって来た ガンジス河の砂の数の八倍を超える多数の大菩薩たちが、大衆の中で 250p 起立し合掌し礼をなして仏に申しあげるには、 『世尊よ、もし私たちに、仏の滅後においてこの娑婆世界にあっておおいに勤め精進して 法華経を護持(ごじ)し読誦(どくじゅ)し書写し供養することを許してくださるならば、 まさにこの姿婆世界において広く法華経を説くでしょう』と誓った。 その時に仏は、もろもろの大菩薩に告げられた、 『止めよ善男子よ、汝たちがこの法華経を護持することは用いない」等と説かれています。 この経文はその前にその前に説かれた、法師品より安楽行品までの五品の経文と、 水と火のように相入れません。 宝塔品の末には、 「仏は大音声をもってひろく比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)の四衆に告げられた。 『誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説く者はいないか」と説かれています。 たとえ教主が一仏だけであっても、 滅後の弘教を このようにすすめられたならば、 薬王等の大菩薩、梵天・帝釈・日天・月天・四天等は このすすめを重んじるべきなのに、 さらに多宝仏、十方の諸仏も客仏として滅後の弘教を諫めさとされたのです。 もろもろの菩薩たちは、 この懇切丁寧な付属(ふぞく)を聞いて 「わが身命を借しまない」との誓いを立てたのです。 これらはひとえに仏の意に叶おうとするためです。 ところが一瞬の間に、仏の説く言葉は相違して、 ガンジス河の砂の数の八倍という多くの菩薩たちの この娑婆世界での弘教を制止されたのです。 進退きわまってしまいました。 もはや凡夫の智恵ではおよびません。 天台智者大師は、 他方の菩薩の弘教を制止した理由と地涌の菩薩を召し出し付嘱した理由を、 それぞれ三つずつ、あわせて六つの解釈をつくって、これを説明されています。 結局、迹化・他方の大菩薩らに仏の内証の寿量品(文底下種の大御本尊)を 授与するわけにはいかないのです。 末法の初めは謗法の国であり悪機であるため、 迹化・他方の菩薩たちの弘教を制止して地涌千界の大菩薩を召し出し、 寿量品の肝心である妙法蓮華経の五字をもって、全世界の衆生に授与させられるのです。 また迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子たちではないからです。 天台大師は「法華文句」に、 「地涌の菩薩は我が(釈尊の)弟子であるから、 まさに我が(釈尊の)法を弘めるべきである」といい、 妙楽は「法華文句記」に、 「子が父の法を弘めるならば世界の利益がある」と説き、 「法華文句輔正記」に道暹(どうせん)は、 「法が久成の法である故に、久成の人に付属したのである」等と説いています。 また弥勒菩薩が疑いをおこして答えを求めていったことが涌出品に次のように説かれています。 「私たちは、仏が衆生の機根にしたがって説かれる事、 仏の出るところの言葉は未だかつて嘘偽りがなく、 仏の智慧は一切ことごとく通達されていると信じますが、 もろもろの新しく発心する菩薩が仏の滅後において、 もし地涌の菩薩は釈尊の久遠以来の弟子であるとの言葉を聞いたならば、 あるいは信受しないで法を破るという罪業の因縁を起こすでしょう。 どうか世尊よ、願わくは滅後の人々の為に解説して私たちの疑いを取り除いていただきたい、 そうすれば未来世のもろもろの善男子もこのことを聞けば、また疑いを生じないでしょう」等と。 この経文の意は、 寿量品の法門は仏滅後の衆生のために請われて説かれたということです。 寿量品に、 「毒を飲んだ子供のなかで、あるいは本心を失ってしまった者と、 あるいは本心を失わなかった者があった。(中略) 本心を失わなかった者は、 父の良医が与えた良薬の色香ともすばらしいのを見てすぐにこれを飲んだところ、 251p 病いはことごとく治ってしまった」等と説かれています。 久遠の昔に成仏の因となる種子を植えられ、大通智勝仏の十六王子に縁を結び、 そして、前四味である爾前経、法華経迹門にいたるまでの一切の菩薩・二乗・人天らが、 法華経本門で得脱したのがそれです。 寿量品には、 「その他の、本心を失ってしまった者は、自分たちの父が帰ってきたのを見て喜び、 病をなおしてほしいと尋ね求めるけれども、父がその薬を与えても飲もうとしない。 理由はどうしてかというと、 毒が深く食い入って本心を失っているために、このよき色香のある薬をよくないと思ったのである。 (中略) 父はいま方便をもうけてこの薬を飲ませようと思い 『このよき良薬をいま留めてここにおいておく。 おまえたちはこの薬を取って飲みなさい。病気がなおらないといって心配することはない』。 このように子供たちに教え終わって、また他の国へ行って、 使いを遣わして父は死んだと伝えたのである」等と説かれています。 また分別功徳品には、 「悪世未法の時」等と説かれています。 問うていうには、 寿量品の「使いを遣わして還って告ぐ」というのはどういう意味でしょうか。 答えていうには、 使いというのは四依の人々のことです。 四依には四種類があります。 第一に小乗の四依は多くは正法時代一千年のうち前半の五百年に出現しました。 第二に大乗の四依は多くは正法時代の後半の五百年に出現しました。 第三に迹門の四依は多くは像法時代一千年に出現し、少しは末法の初めに出現しました。 第四に本門の四依は地涌千界の大菩薩であり、末法の初めにかならず出現するのです。 いまの「遣使還告」とは地涌の菩薩の事であり、 「是好良薬」とは寿量品の肝要である名体宗用教の南無妙法蓮華経、 すなわち三大秘法の大御本尊です。 この良薬を仏はなお迹化の菩薩にさえ授与されませんでした。 まして他方の国土から来た他方の菩薩に授与されるはずはありません。 法華経神力品には、 「その時、千世界を砕いて塵にしたほどの、地から涌出した地涌の大菩薩たちは みな仏の前において一心に合掌し、仏の顔をふり仰いで申し上げた、 『世尊よ、私たちは仏の滅後に、世尊の分身が存在する国土や 御入滅された国土においてまさに広く法華経を説くでしょう」等とあります。 天台はこれについて「法華文句」に 「大地より涌出した本化地湧の菩薩だけが滅後末法の弘教の誓いを立てるのが見られた」等といい、 道暹は、 「付属とは、この経をただ大地より涌出した菩薩にだけ付属したことである。 なぜかというと、付嘱する法久成の法であるから、久成の人である地湧の菩薩に付属したのである」 等といっています。 文殊師利菩薩は東方の金色世界の不動仏の弟子であり、 観音菩薩は西方の世界の無量寿仏(阿弥陀仏)の弟子であり、 薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、 普賢菩薩は宝威徳上王仏の弟子です。 これらの菩薩は、一往、釈尊の説法・教化を助けるために裟婆世界へ来たのであり、 また爾前・迹門の菩薩です。 妙法という本源の法をたもっている人でないので、 末法に法を弘める力がないのでしょう。 法華経神力品には、 「その時に世尊は、一切の大衆の前において大碑力をあらわされた。 広く長い舌を出し、空高く梵天までとどかせ、(中略) 十方世界からやって来て、もろもろの宝樹の下の師子の座の上に座っている諸仏も、 また同じように広く長い舌を出された」等とあります。
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918p 彼の身にあやまちを起こしたならばこの重連(しげつら)が大きな罪になる。 だから殺すよりは法門で攻めるがよい。」 と答えたので、 念仏者等はあるいは浄土の三部経、あるいは摩訶止観、 あるいは真言の経釈等を小僧等の頚にかけさせ、 あるいは小脇に挟ませて正月十六日に集まった。 佐渡の国だけではなくて 越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国国から集まった法師等なので、 塚原の堂の大庭から山野へかけて数百人、 それに六郎左衛門尉と兄弟一家やそれ以外の者、 百姓の入道等が数知れず集まった。 念仏者は口々に悪口を言い、真言師は緊張のために面々に顔色を失い、 天台宗の法師は天台宗が勝つとその由を声高に騒ぎたてた。 在家の者どもは 「かねてから聞き及ぶ阿弥陀仏のかたきめ」と声高に非難し、 この騒ぎが響きわたるさまは地震か雷鳴のようであった。 日蓮はしばらく騒がせておいてから 「おのおのがた静まりなさい。法論のためにこそおいでになったのではないか。 悪口等は無益である」といったところ、 六郎左衛門尉をはじめ多数の人々が「そうだ」といって、 悪口した念仏者を首をつかまえて突き出した。 さて、止観・真言・念仏の法門を、 一々相手がいうことを念を押して承知させておいてから、 ちょっとばかりにつき詰めると、相手はみな一問か二問で詰まってしまった。 鎌倉の真言師・禅宗の者・念仏者・天台の者よりも たわいがない者共であるからその様子を想像されるがよい。 それは利剣をもって瓜(うり)を切り、大風が草をなびかせるようなものであった。 彼等は仏法に暗いばかりでなく、あるいは自語相違し、 あるいは経文を忘れて論といい、釈を忘れて論というありさまであった。 善導が首をくくって柳から落ち、 弘法大師が三鈷(さんこ)の金剛杵(こんごうしょ)を投げ、 大日如来と現じたこと等について、 あるいは妄語(もうご)あるいは気違い沙汰である点を一々責めたところ、 ある者は悪口し、ある者は口を閉じ、ある者は顔色を失い、 あるいは「念仏は間違いであった」という者もあり、 あるいはその場で袈裟や平念珠を捨てて念仏は称えまいという由の 誓状を立てる者もあった。 皆帰るので六郎左衛門尉も帰り一家の者も帰っていった。 このとき日蓮は不思議を一つ言おうと思って、 六郎左衛門尉を大庭から呼び出して 「いつ鎌倉へ上がられるのか」というと、 彼が答えていうには 「下人どもに農事をさせてからで、七月ごろになりましょう」 という。 日蓮は 「弓箭(ゆみぐ)を手に取る者は主家の御大事に間に合って、 ほうびに所領を賜ることこそ田畠を作るとはいうのではないか。 ただ今いくさが起ころうとしているのに、 急いで鎌倉へ駆け上り手柄をたてて領地を賜らないか。 なんといってもあなた方は相模の国では名の知れた侍である。 それが田舎で田を作っていていくさにはずれたならば恥であろう」 と言ったところ、 なんと思ったのであろうか、あわてた様子で ものも言わなかった。 見ていた念仏者・持斎・在家の者どもも、 919p これは一体どうしたことかと恠(あや)しんだ。 10 開目抄の御述作 さて皆帰ったので、去年の十一月から勘えていた開目抄という文二巻を造った。 これは、もし頚を斬られるならば日蓮の身の不思議を留めて置こうと思って 想を練ったのである。 この文の心は次のとおりで 「日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まるのである。 譬えば家に柱がなければ保たず人に魂がなければ死人であるのと同じ道理である。 日蓮は日本の人の魂である。 平左衛門尉はすでに日本の柱を倒してしまった。 そのために只今世の中が乱れて、それという事実もなく夢のように流言がでてきて この御一門が同士打ちをし、後には他国から攻められるであろう。 たとえば立正安国論に委(くわし)く述べた通りである。」 このように書き付けて中務(なかつかさ)三郎左衛門の使いに持たせてやった。 側についていた弟子達も、強すぎる主張であると思うが止める力がないという風であった。 その後に二月十八日に島(佐渡)に船が着いた。 鎌倉に戦(いくさ)があり京都にもあって、その様子は大変なものであるという。 六郎左衛門尉はその夜・早舟をもって一門を率いて渡って行った。 その時日蓮に掌(たなごころ)を合わせて 「お助け下さい。去る正月十六日のお言葉を、どうであろうかといままで疑ってきましたが、 いくらもたたず三十日の内に符号しました。それではまた蒙古国も必ず攻め寄せましょう。 念仏無間地獄も必ずそうでございましょう。 今後はけっして念仏を称えません」 と言ったので、 「あなたがどのように言おうとも、相模守殿(時宗)等が 用いないならば日本国の人は用いまい。 用いなければ国は必ず亡ぶであろう。 日蓮は幼若(未熟)な者ではあるが、法華経を弘めている以上は釈迦仏のお使いである。 たかの知れた天照大神・正八幡などという神は、この国でこそ重んじられているけれども 梵天・帝釈・日月・四大天王に対するならば小神にすぎない。 それでもこれに仕える神人(じにん)などを殺したならば 普通の人を殺した場合の七人半に当たるなどといわれている。 太政入道清盛や隠岐(おきの)法皇等が亡んだのはこのためである。 しかし日蓮に比べれば神人など比べものにならない。 自分は教主釈尊のお使いであるから 天照大神・正八幡宮も頭を下げ手を合わせて地に伏すべきである。 法華経の行者に対しては梵天帝釈は左右に仕え日天月天は前後を照らし給うのである。 このような尊い日蓮を用いたとしても悪しく敬うならば必ず国が亡びるのである。 まして敬うどころか数百人に憎ませ二度まで流罪にした。 この国が亡びることは疑いないけれども、 しばらく神々を制止して国を助け給えと祈る日蓮がひかえておったからこそ、 いままでは安穏であったが、理不尽な行為があまりにも度を越したから 罰が当たってしまったのである。 またこの度も用いなければ大蒙古国から打手を向けてきて日本国は亡ぼされるであろう。 920p これは平左衛門尉が自ら好んで招く災いである。 そのときはあなた方もこの島であっても安穏で済むはずはない」 と言い聞かせたところ、 驚きあきれた様子で帰って行った。 さて、これを伝え聞いた在家の者達がいうには 「この御坊は神通力を得たお方なのであろうか、ああ怖ろしい怖ろしい。 今後は念仏者を養うまい、持斎も供養すまい」 と、念仏者や良観の弟子の持斎等は 「内乱をあらかじめ知っていたところを見ると この御坊は謀叛の仲間に加わっていたのであったか」 といった。 さてしばらくして世間の騒ぎは静まった。 11 宣時の迫害と御赦免 また念仏者が集まって協議した。 「こうしていたのではわれわれは飢え死にするだろう。 どうしてもこの法師を亡き者にしようではないか。 既に国中の者も大体彼についてしまった。どうしようか。」 と相談して、 念仏者の長者の唯阿弥陀仏・持斎の長者の性諭房(しょうゆぼう)・良観の弟子の道観等が 鎌倉へ走り登って武蔵守宣時(むさしのかみのぶとき)殿に讒訴(ざんそ)し 「この御房が島にいるならば諸宗の堂塔は一宇も残らないし、僧も一人も残らないでしょう。 阿弥陀仏をあるいは焼き払い、あるいは河に捨て流しております。 夜も昼も高い山に登って日月に向かって大声をあげてお上を呪詛(じゅそ)しております。 その音声は一国に聞こえております。」 といった。 武蔵前司宣時殿はこれを聞いて 「お上に言上するまでもあるまい。まず佐渡の国の諸人のなかで日蓮房につく者が あるならば、あるいは国を追放し、あるいは牢に入れよ」 と私の下知を下した。 また同趣旨の下文(下知状)が代官へ下った。 このように三度まであり、その間の出来事は特にふれないが、 あなたの心で推し量っていただきたい。 島の役人は人々に対してあるいは庵室の前を通ったといって牢に入れ、 あるいはその御房に物を差し上げたといっては国を追い、 あるいは妻子を取り上げた。 宣時(のぶとき)がこのようにしておいて、お上へこれらを言上したところ、 予想に反して去る文永十一年二月十四日の御赦免状が同三月八日に島に到着した。 念仏者等が協議して 「これほどの阿弥陀仏の御敵であり、善導和尚(ぜんどうわじょう)や 法然上人を罵るほどの悪い者が、まれに御勘気を蒙ってこの島に流されたのを、 御赦免になったといって生かして帰すのは心苦しいことだ」 といってさまざまな企てがあったが、どういうわけであろうか、 思いがけなく順風が吹いてきて島を出発したが、 間合いが悪ければ百日、五十日を経ても渡らず、順風では三日かかるところを 少しの間に渡ってしまった。 これを聞いて越後の国府(こう)や信濃の善光寺の念仏者・持斎・真言師等は 雲集して協議した。 「島の法師等は、今まで生かしておいて還すとは人でなしである。 われらはどうしても生身(しょうじん)の阿弥陀仏の御前は通すまい」 と協議したけれども、 越後の国府から兵士達が大勢日蓮に付き添って善光寺を通ったので また彼等も力が及ばなかった。 921p こうして三月十三日に島を立って同三月二十六日に鎌倉に入った。 12 三度目の国諫 同四月八日に平左衛門尉に対面した。 前とは打って変って様子を和らげて、礼儀正しくするうえに、 ある入道は念仏について質問し、ある俗人は真言を問い、ある人は禅を問い、 平左衛門尉は爾前に得道が有るか無いかを質問した。 これらには一つ一つはっきりと経文を引いて答えた。 平左衛門尉は執権のお使いかと思われる様子で 「大蒙古国はいったいいつ攻めて参りましょうか」 と尋ねた。 日蓮は答えていった。 「今年中に必ず攻めて来る。しれについては日蓮が已前(いぜん)から 勘(かんが)えて進言しているのをお用いにならない。 譬えば病の起こりを知らない人が病気を治療すれば病はますます倍増する。 同様に真言師が蒙古調伏の祈祷(きとう)をするならばますますこの国は 戦(いくさ)に負けるであろう。 決して真言師・総じては今の諸宗の法師等をもって祈祷をしてはならない。 各(おのおの)は仏法を知っておいでではないから言っても分からないのである。 また、どういう訳であろうか、 他の事とは異なって日蓮がいう事に限ってお用いにならない。 止むを得ないから後で思い合わせさせる為に言っておく。 隠岐(後鳥羽)法皇は天子であり、権大夫義時殿は民ではないか。 子が親に仇をなすのを天照大神は受けるだろうか。 家来が主君を敵にするのを正八幡はお用いになるだろうか。 それなのにいかなる訳で公家は負けたのであるか。 これはまったくただ事ではない。 弘法大師の邪義・慈覚大師・智証大師の僻見(びゃっけん)を真実と思って、 叡山・東寺・園城寺の人々が鎌倉幕府を仇にしたので 還著於本人(げんじゃくおほんにん)といってその失(とが)が 祈った方へ還って著き、公家は負けたのである。 武家は祈祷の事などは知らないので調伏も行わなかったから勝った。 今またその様になろう。 蝦夷(えぞ)は死生の理を知らぬ者、 安藤五郎は因果の道理を弁えて堂塔を多く造った善人である。 それなのにどうして首を蝦夷に取られたのであるか。 こうしたことを考えると、 この御房たちが祈祷するならば入道殿は必ず大事件に遇うと確信する。 その時になってから、決して御房はそうは言わなかった、とおっしゃるな」 としたたかに言い渡した。 13 阿弥陀堂法印の祈雨 さて、帰って聞いたところによると、 同四月十日から阿弥陀堂の法印(加賀法印定清)に命じて雨乞いのご祈祷があった。 この法印は東寺第一の智者であり御室(おむろ「仁和寺」)の 道助法親王等の御師であって、 弘法大師・慈覚大師・智証大師の真言の秘法を鏡にかけたように精通し、 天台・華厳等の諸宗を皆胸に浮かべるように知り尽くした人である。 それに随って十日からの祈雨で十一日に大雨が降って風は吹かず、 雨は静かであって一日一夜降ったので、相模守時宗はたいそう感じ入って、 922p 金三十両に馬など様々の賜わり物があったと聞こえてきた。 これを知って鎌倉中の上下万民が手をたたき口をすくめて嘲笑し 「日蓮が間違った法門を主張して直ぐに頚を斬られようとしたが、 やっと免されたのだから神妙にするかと思ったがそうではなくて 相変わらず念仏・禅を誹(そし)るばかりではなく、 真言の密教などさえも誹るものだから、 このような法の験(しるし)が現れたのはいい見せしめでめでたい」 と罵ったところ、 日蓮の弟子達はがっかりして 「これ(真言破折)は粗暴な主張」と言ったので、 日蓮は喩(さと)していった。 「しばらく待て、弘法大師の悪義が真実であって国の祈りになるものならば 隠岐(後鳥羽)の法皇こそ戦に勝たれたはずである。 御室(仁和寺)の道助法親王の最愛の稚児(ちご)・勢多迦(せいたか)も 頚を斬られなかったであろう。 弘法は法華経を華厳経に劣っていると書いた状は十住心論という文にあり、 寿量品の釈迦仏を凡夫であると記した文は秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)にある。 天台大師を盗人と書いた状は顕密二教論にあり、 一仏乗の法華経を説いた仏を真言師の履物取りにも及ばないと書いた状は 正覚房覚鑁(かくばん)が舎利講式(しゃりこうしき)にある。 この様な邪義をいう者の弟子である阿弥陀堂の法印が日蓮に勝つならば 竜王は法華経の敵であり、梵天・帝釈・四大天王に責められるであろう。 この降雨にはなにか訳があるだろう」 というと、 弟子達がいうには 「どんな訳があるのだろうか」と嘲笑したので、日蓮はこう答えた。 「善無畏も不空も雨乞いの祈りに雨は降ったものの大風が吹いたと見えている。 弘法は三七日過ぎでから雨を降らせた。 これらは雨を降らせなかったようなものである。 なぜならば三七・二十一日の間に降らぬ雨などあるものではない。 例え降ってもなんの不思議があろうか。 天台大師や千観法師などのように一座の修法で降らせてこそ尊いのだ。 これは必ず訳があろう」 と言いも終わらぬうちに大風が吹いてきた。 大小の舎宅・堂塔・古木・御所等を・あるいは天に吹き上らせて、 あるいは吹き入れ、空には大きな光り物が飛び、 地には棟(むね)や梁(はり)が倒れ乱れた。 人々さえも吹き殺し牛や馬がたくさん倒れた。 悪風であっても秋なら季節であるからまだ許すことも出来る。 だがこれは夏の四月である。 そのうえ日本全国には吹かずに但関東八か国だけである。 八か国のなかにも武蔵・相模の両国であり、両国のなかでも特に相州に強く吹いた。 相州のなかでも鎌倉、鎌倉のなかでも特に御所・若宮・建長寺・極楽寺等に強く吹いた。 ただの暴風とも見えず、ひとえに祈祷の故かと思われて、 日蓮を嘲笑し口をすくめた人々も興醒めしてしまったうえ、 わが弟子達も 「なんと不思議なことか」 と驚いて言い合った。 14 身延入山と蒙古襲来 今後の諌めも用いられまいとかねて心に期していたことなので、 923p 三度まで国を諌めても用いられなければその国を去るべしとの習いに従った。 そこで同五月十二日に鎌倉を出発してこの身延に入った。 同十月に大蒙古国が攻め寄せて壱岐・対馬の二カ国を打ち取られただけでなく、 大宰府も破られて、少弐資能(すけとし)入道覚恵や大友頼奉(よりやす)入道忍等は それを聞いて逃げ、そのほかの兵士どもはやすやすと大体打ち取られてしまった。 また今後攻め寄せてくるならば、いかにもこの国は弱体に見受けられる。 仁王(にんのう)経には 「聖人が去るときには七難が必ず起こる」等とあり、 最勝王経には 「悪人を愛敬(あいぎょう)して善人を治罰(じばつ)するに由(よ)る故に 乃至(ないし)他方の怨賊(おんぞく)が来て必ず国中の人が滅ぼされる乱に遇う」 等とある。 仏説がまことであるならば、 この国に間違いなく悪人がいるのを国主が尊敬して、善人に仇(あだ)をするからではないか。 大集経にいわく 「日月に光なく四方が皆日照りとなる。 このような不善業の悪王と悪比丘とが我が正法を破壊するのである」云云と、 仁王経にいわく 「諸(もろもろ)の悪比丘が多く名聞と利欲とを求めて国王・太子・王子の前において 進んで破仏法の因縁・破国の因縁を説くであろう。 その王は事の善悪を分別できなくてその言葉を信じて聴く、これが破仏法・破国の因縁である」 等云云、 法華経にいわく「濁世の悪比丘」等云云、 経文が真実ならばこの国に間違いなく悪比丘が存在している。 そもそも宝山には曲がった木は伐(き)り去られ、大海には死骸を留めて置くことがない。 仏法の大海・一仏乗の宝山には五逆罪の瓦礫(がりゃく)や 四重禁戒を破る濁水は入るけれども誹謗の死骸と一闡提の曲林は収めないのである。 であるから仏法を習おうとする人は後生を願おうとする人は法華誹謗を恐るべきである。 15 臨終の相と法華誹謗の現証 弘法や慈覚を誹(そし)る人をどうして用いられようかと、あらゆる人が思っている。 しかし、他人は別として、安房の国の東条と西条の人々はこの事を信じるべきである。 それは眼の前に現証があるからである。 いのもりの円頓房・清澄の西暁房(さいぎょうぼう)・道義房・片海の実智房等は 貴いといわれてきた僧であった。 だがこれらの人々の臨終はどうであったろうかと尋ねてみるべきである。 これらはさておくが、円智房は清澄の大堂において三か年の間・ 一字三礼の法華経を自身で書写し十巻を暗誦し、 五十年の間一夜昼夜に二部ずつ読まれたのである。 だから彼を人は皆必ず仏になるだろうといっていた。 これに対して日蓮だけが 「念仏者よりも道義房と円頓房こそ無間地獄の底に堕ちるであろう」 といっていたが、この人々の臨終はよかったか、どうであろうか。 もし日蓮がいなかったならば、 この人々を世間では仏になったであろうと思ったに違いない。 924p これをもって知りなさい。 弘法・慈覚等は臨終があまり悪くてあきれる事があったけれども、 それを弟子共が隠したために、公家においてもその事実を知り給わず、 時代が下るにつれてますます尊敬しているのである。 もしそれを顕す人がないならば未来永劫までそのまま通ってしまうであろう。 昔、天竺の拘留外道(くるげどう)は石となって八百年過ぎてから融けて水となり、 迦毘羅外道(かびらげどう)は石と化して一千年後に同じく陳那菩薩に責められ 融けて水と化し、その失(とが)が顕れたではないか。 そもそも人身を受けるということは五戒の力によるのである。 五戒を持つ者を二十五の善神がこれを守るうえに、 同生同名といって二つの天が、生まれた時からその人の左右の肩にいて守護するために、 その人に失(とが)がなければ鬼神が仇をなすことはない。 しかるにこの国の無数の諸人が災難に遇って悲嘆(ひたん)しているばかりか、 壱岐・対馬の両国の人は皆大事件に遇った。 筑紫の大宰府もまたいうまでもない程の体(てい)たらくである。 このように災難に遇うのはこの国に一体どんな失(とが)があるのであろうか。 これこそぜひ知りたいことである。 一人・二人ならば失(とが)もあるだろうが、 大勢の人々に失があるということは一体どうしたことか。 これは偏(ひとえ)に法華経を見下した弘法・慈覚・智証等の末葉の真言師、 善導・法然の末の弟子等、 達磨等の人々の末の者どもが国中に充満して邪法を弘めている。 ゆえに、梵釈(ぼしゃく)・四天等が、法華経の会座の誓状(せいじょう)のとおりに 頭破作七分の治罰(ちばつ)を加えているのである。 16 頭破作七分 疑っていうには、法華経の行者を仇とする者は 「頭敗れて七分と作(な)らん」と説かれているのに、 日蓮房を謗(そし)っても別に頭も割れないのは、 日蓮房は法華経の行者ではないのか、というのは道理であると思うがどうであろうか。 答えていうには、 日蓮を法華経の行者でないというのならば、法華経をなげ捨てよと書いた法然達、 法華経の教主を無明の辺域であると書いた弘法大師、法華と真言は理は同じだが 事では真言が勝れると宣(の)べた善無畏・慈覚等が法華経の行者であるだろうか。 また頭破作(ずはさ)七分ということはどういうことであるか。 刀を以(も)って斬ったときのように割れるのだと心得ているのか。 経文には「阿梨樹(ありじゅ)の枝のごとし」と説かれている。 もともと人の頭の中には(精気の根元をなす)七滴の水があり、 七人の鬼人がいて一滴食えば頭を痛め、三滴食えば寿命が絶えようとし、 七滴全部食えば人は死ぬのである。 今の世の人々は(鬼人に頭の水を食われて) 皆・頭が阿梨樹の枝のように破(わ)れてしまっっているが 悪業が深いために自覚していないのである。 たとえば傷を負った人が、あるいは酒に酔うか、 あるいは深く寝入ってしまえばその傷の痛みを感じない様なものである。 また、頭破作七分というのは、または心破作(しんはさ)七分ともいって、 頭の皮の底にある骨が罅(ひび)破(わ)れるのである。 死んだ場合には割れることもある。 今の世の人々は 去る正嘉の大地震・文永の大彗星出現のときに皆頭が割れてしまった。 その頭が割れたときに喘息(ぜんそく)を痛み、 五臓を損なったとき赤痢を病んだのであった。 925p これは法華経の行者を誹(そし)ったために当たった現罰であると気がつかないのか。 17 身延山の御生活 それゆえ鹿は味があるために人に殺され、亀は油があるために命を奪われる。 女人は器量が良いと嫉(ねた)む者が多い。 国を治める者は他国から狙われる恐れがあり、財のある者は、 その財宝のために命が危険にさらされる。 法華経を持つ者はかならず成仏する。 それゆえに第六天の魔王という三界の主がこの経を持つ人を強く嫉むのである。 この魔王はあたかも疫病神が誰の目にも見えずに人に付くように、 芳醇(ほうじゅん)な古酒に人が酔い入ってしまうように 国主・父母・妻子に取り付いて法華経の行者を嫉むのであると経文に見えている。 これに寸分も違っていないのが現在の世相である。 日蓮は南無妙法蓮華経と唱えるゆえに、二十余年間、住む所を追い出され、 二度まで幕府の御勘気を蒙り、最後にはこの身延の山に籠(こも)った。 この山のありさまは、 西は七面山、東は天子嶽・北は身延山・南は鷹取山がそびえ、 この四つの山の高いことは天につくばかり、 嶮(けわ)しさは飛鳥も飛びにくい程である。 そのなかに四つの河がある。 いわゆる富士河・早河・大白河・身延河である。 その四つの河に挟まれたなかに一町歩ほどの空地(谷間)がある所に庵室を構えた。 こういう谷間であるために昼は日を見ず夜は月を拝せず、 冬は雪深く夏は草が茂り、訪ね来る人もまれなので道を踏み分けることも難しい。 ことに今年は雪が深くて人が訪ね来ることがない そのため死を当然と心得て法華経(御本尊)だけを頼み奉って暮らしていたのに 音信をいただきありがたく存じている。 おそらくは釈迦仏のお使いか、過去の父母のお使いかと感謝にたえません。 南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
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現代 特別な舞台設定を持たない作品。 ノンフィクション:現実世界に起こった出来事を忠実に語った作品。私小説を含む。 現代日本:現代の日本を舞台にした作品。 海外:現代の海外を舞台にした作品。 現代を舞台にした作品 あにまる☆はうす ゆっくり達の基礎から始める小説講座! 東京悪魔 現代を書く作家 「現代 作家」をタグに含むページは1つもありません。 +サブジャンルを展開 ノンフィクション 現実世界に起こった出来事を忠実に語った作品。私小説を含む。 ノンフィクションをよく書く作家 「作家 舞台設定ノンフィクション」をタグに含むページは1つもありません。 ノンフィクションに該当する作品 ゆっくり達の基礎から始める小説講座! ジャンル 現代 舞台設定 現代日本 現代の日本を舞台にした作品。 現代日本をよく書く作家 hibana kao._. いなばー ミスター志乃 本宮愁 神無月愛 現代日本を舞台とした作品 My Spotlight Walk Now For So Meet(うぉくのふぉそみつ) 『Fragment of Time * 時の欠片の道しるべ』 あにまる☆はうす パーフェクト・マッチ! ジャンル 現代 舞台設定 海外 現代の海外を舞台にした作品。 海外をよく書く作家 「作家 舞台設定海外」をタグに含むページは1つもありません。 海外を舞台とした作品 「作品 舞台設定海外」をタグに含むページは1つもありません。 ジャンル 現代 舞台設定
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204p 燋(い)た種が芽を出し、割れた石がまた合い、枯れ木に華が咲いて実がなるように、 成仏出来ると許されたものの、まだ成仏の相は現じていません。 どうして法華経の重恩を報じないでいられましょうか。 もしこの恩を報じないならば、世間の賢人にも劣り、 恩知らずの畜生です。 毛宝(もうほう)に助けられた亀は、毛宝の衣類に変えて救われた恩を忘れず、 昆明池(こんめいち)の大魚は、漢の武帝に命を助けられた恩を報じようと、 明珠(めいしゅ)を夜中に捧(ささ)げました。 畜生でさえ尚この様に恩を報じています。 ましてや舎利弗らの偉大な聖人達が恩を報じないわけがありません。 阿難尊者(あなんそんじゃ)はインドの斛飯王(こくぼんのう)の二男であり、 羅睺羅(らごら)尊者は浄飯王(じょうぼんのう)の孫です。 世間の人々の中では家柄の高い身分である故、 小乗における最高の悟りの阿羅漢果(あらかんか)を得た身となったのに、 爾前経では成仏をおさえられていましたが、八ヵ年の法華経説法の席において、 阿難は山海慧自在通王仏(さんがいえじざいおうぶつ)に、 羅睺羅は蹈七宝華如来(とうしつぽうけにょらい)等と如来の名を授けられました。 もし法華経が説かれなかったらば、どんなに家柄が高く、偉大な聖人であるといっても、 誰が謹み敬うでしょうか。 中国の夏(か)の桀王(けつおう)や殷(いん)の紂王(ちゅうおう)というのは、 大国の君主であり、一般住民の信頼し服従するところでした。 しかし、悪政を行って国を滅ぼした為、今でも悪人の手本には、 桀(けつ)・紂(ちゅう)、桀・紂と言われています。 身分の賤(いや)しい者や癩病(らいびょう)の者でも、 桀・紂の様だと言われると、悪口をいわれた、と腹を立てます。 千二百、あるいは数知れない程多くの声聞達も、もし法華経が説かれなかったならば、 誰もその名を聞かなかったでしょうし、またその声を聞き習う事もないでしょう。 一千の声聞達が一切経を結集したといっても、それを見る人もないでしょう。 ましてこれら声聞の人々を、絵像や木像に表して本尊と仰ぐでしょうか。 これはひとえに法華経の御力(おんちから)によって、 一切の阿羅漢(声聞)達は人々から尊敬せられているのです。 もろもろの声聞達は、法華経を離れたならば、 それは魚が水を離れ、猿が木から離れ、乳のみ子が母乳を離れ、 民が王から離れた様なものです。 ですから、どうして法華経の行者を捨てられるでしょうか。 もろもろの声聞達は、 爾前の経経では肉眼(にくげん)のうえに天眼(てんげん)と慧眼(えげん)を得ました。 さらに法華経によって法眼(ほうげん)と仏眼(ぶつげん)を備える事が出来ました。 この五眼によって十万世界をさえ照見(しょうけん)されるでしょう。 どうしてこの娑婆世界のうちの法華経の行者を知見(ちけん)されないはずがありましょうか。 たとえ日蓮が悪人であって、一言二言、一年二年、一劫二劫、 あるいは百千万億劫(ひゃくせんまんのっこう)の間、これらの声聞を悪口し、 罵(ののし)り、刀や杖で打ったり切りつけたりする気配があっても、 法華経をさえ信仰している行者であれば、決して捨てられる事はないでしょう。 譬えば、幼い子が父母を罵ったとして、父母はこの子を捨てるでしょうか。 梟鳥(きょうちょう)は成長すると母を食うと言われますが、 母はこの小鳥を捨てません。 破鏡(はけい)という獣(けもの)も父を害しますが、 父はそれに従うと言います。 畜生でさえこの通りです。 偉大な聖人である声聞達が法華経の行者を捨てられる事があるでしょうか。 されば、法華経信解品(しんげほん)に 須菩提(しゅぼだい)・迦旃延(かせんねん)・迦葉(かしょう)・目蓮(もくれん)の 四大声聞が二乗の成仏を領解した文に次の様にあります。 「われらは今真に声聞である。仏道の声をもって一切衆生に聞かせるであろう。 われらは今、真に阿羅漢(あらかん)である。もろもろの世間の 205p 天・人・魔王・大梵天王から、広くその中にあって、供養をうけるであろう。 われらは世尊には大恩(だいおん)がある。 希有(けう)の事をもってわれらを憐(あわ)れみ教化(きょうけ)して、 利益(りやく)された。 無量億劫(むりょうおっこう)にも、誰かよくその恩を報ずる者はあるだろうか。 手足をもって供養し、頭を地につけて礼拝(らいはい)し、 一切をもって供養しても、皆仏の恩を報ずる事は出来ないであろう。 もしは仏の身を頂戴(ちょうだい)し、両肩に担って恒沙劫(ごうじゃごう)という長い間、 心を尽くして恭敬(きょうけい)し、また美味の膳、無量の宝衣(ほうえ)、 及びもろもろの寝具や種々の湯薬(とうやく)をもって供養し、 牛頭栴檀(ごずせんだん)及びもろもろの珍しい宝をもって仏塔を建て、 宝衣を地に敷き、この様なをもって恒沙劫の間供養しても、 尚その恩を報ずる事は出来ないであろう。」 と。 25 二乗が守護しない事を疑う もろもろの声聞達は、前四味の爾前(にぜん)の経々でどれほど多くの叱責をこうむり、 会座の中で恥辱がましい事を聞かされたか、その数を知りません。 その事によって迦葉(かしょう)尊者の泣き叫ぶ声は三千世界を響かし、 須菩提(しゅぼだい)尊者は呆然(ぼうぜん)として手に持っていた鉢を捨てました。 舎利弗(しゃりほつ)は食べていた飯を吐き出し、 富楼那(ふるな)は美しい瓶(かめ)に糞(ふん)を入れている、 と嫌われました。 釈尊は鹿野苑(ろくやおん)においては阿含経を褒(ほ)め称(たた)え、 二百五十戒を師としなさい等と懇(ねんご)ろに褒められながら、 今又いつの間にか自分の所説をこうまで謗(そし)られるとは、 一仏二言で自語相違の失(とが)であるともいうべきです。 例えば、釈尊が提婆達多(だいばだった)を 「汝(なんじ)は愚か者で、人の唾(つば)を食う者だ」 と罵倒されたので、提婆達多は毒矢が胸に刺さった様に思い釈尊を怨んでいいました。 「瞿曇(くどん『釈尊』)は仏ではない。 自分は斛飯王(こくぼんのう)の嫡子(ちゃくし)であり、 阿難尊者の兄で、釈尊のいとこにあたる一類である。 どんなに悪い事があったとしても、内々に教え訓(さと)すべきである。 これほどの人天大会(にんでんだいえ)で、 これほどの大きな禍(わざわ)いを面と向っていう者は、 大人(だいにん)や仏陀の中にあるだろうか。 されば、出家する前は妻となるべき人を奪われた敵(かたき)であり、 いまは一座の中で恥をかかされた敵である。 今日から生々世々(しょうじょうせせ)に釈尊の大怨敵(だいおんてき)となるであろう」 と誓ったのです。 この事例をもって思うには、 今、もろもろの大声聞達は、本は外道の婆羅門(ばらもん)の家から出た人達です。 又もろもろの外道の長者でしたので、諸国の王に帰依され、多くの檀那に尊敬されていました。 あるいはその家柄が高貴な人もあり、 あるいは富福が満ちたりていた者もありました。 ところがそれらの栄官等を打ち捨てて慢心の幢(はたほこ)を倒して俗服を脱ぎ、 壊色(えじき『赤黒いこげ茶色』)の糞掃衣(ふんぞうえ『最も汚い衣』)を身にまとい、 白い毛の払子(ほっす)や弓矢等を打ち捨て、 一つの鉢を手に握り、貧乏人や乞食等の様にして、釈尊に付き従い、 風雨を防ぐ家も無く、身命を永らえる為の衣食も乏しく少ない有様であるのに、 五天竺・四海・全インドみな外道の弟子であり、 檀那(だんな)なので、仏でさえ九度の大きな難にあわれました。 所謂(いわゆる)提婆達多は大石を飛ばして釈尊を殺そうとし、 阿闍世王(あじゃせおう)は酔った象を放って釈尊とその弟子を殺そうとし、 阿耆多王(あぎたおう)は九十日のあいだ馬に、与える麦を釈尊と弟子に食べさせ、 婆羅門(ばらもん)城下を乞食(こつじき)した時、 米のとぎ汁しか与えられず、 206p 旃遮婆羅門女(せんしゃばらもんにょ)は 鉢を腹にふせ入れて釈尊が懐妊させたと非難した事等々。 まして化導される弟子達が受けた数々の難は言い尽くせない程です。 数知れない程多くの釈迦族の人々は波瑠璃王(はるりおう)に殺され、 千万人の眷属(けんぞく)は酔った象に踏み殺され、 華色比丘尼(けしきびくに)は提婆達多に殺害され、 迦廬提尊者(かるだいそんじゃ)は殺害されて馬糞(ばふん)に埋(うず)められ、 目蓮尊者は竹杖(ちくじょう)外道に殺害されました。 そのうえ六師外道は心を合わせて、 阿闍世王(あじゃせおう)や婆斯匿王(はしのくおう)らに讒言(ざんげん)して言うには 「釈尊は世界第一の大悪人である。 彼が行く所は、先々に三災七難が起こっている。 大海があらゆる流れを集め、大きな山がもろもろの木を集めている様に、 釈尊の所にはあらゆる悪人を集めている。 所謂(いわゆる)迦葉(かしょう)・舎利弗(しゃりほつ)・目蓮(もくれん)・ 須菩提(しゅぼだい)等である。 人間と生まれた者はまず忠・考を第一としなければならない。 ところが迦葉らは釈尊に騙しすかされて、父母の教訓を用(もち)いず、 家を出て、王法による命令書にも背いて山林に入ってしまった。 国内に留めておくべき者ではない。 だから天には太陽や月や星等が異変を生じ、地には多くの災いが盛んに起きている。」 等と訴えました。 これらの難だけでも耐えられるとも思えないのに、 更に付け加えられる災いに、釈尊に会座で叱責され、釈尊にも添(そ)い難い事でした。 人天大会(にんでんだいえ)の大衆が集まった説法の座で、 しばしば叱責の声を聞いたのでどうして良いかわからず、 ただ慌(あわ)てる心ばかりでした。 そのうえ大の大難の第一なのは、浄名経(じょうみょうきょう)に 「汝(なんじ)に施(ほどこ)す者は福田とは名付けない。 汝を供養する者は三悪道に堕ちる。」 と言われた事です。 この経文の意味は、釈尊が菴羅苑(あんらおん)という所に居られた時に、 梵天(ぼんてん)・帝釈(たいしゃく)・日月・四天王、 三界の諸天・地神・竜神等数えきれない程の無数の大会(だいえ)の中で言われました。 「須菩提(しゅぼだい)らの出家者らを供養する天・人は三悪道に堕ちるであろう」 と。 これたを聞いた天・人達は、これらの声聞達に供養するでしょうか。 結局は仏の言葉によってもろもろの二乗を殺害されるのかと思われ、 心ある人々は仏をも疎(うと)んじた事でしょう。 それで、これら天・人達は、仏を供養して奉(たてまつ)ったついでに、 二乗のわずかの身命を助けられました。 ですから、事の心を考えてみますと、釈尊が四十余年の爾前の経々だけを説かれて、 八か年の法華経の説法無くして御入滅なられていたならば、 誰がこれら二乗の尊者を供養するでしょうか。 現身(げんしん)に餓鬼道に堕ちておられる事でしょう。 ところが四十余年の間に説いた爾前の経々を、 春先の太陽が寒氷(かんぴょう)を消滅させる様に、 無量の草露(そうろ)を大風が零(こぼ)し落とす様に、一言をもって一時に、 無量義経において 「いまだ真実をあらわさず」 と打ち消し、 大風が黒雲(こくうん)を撒(ま)き散らし、大空に満月が輝いた様に、 青天に太陽がかかった様に 207p 法華経方便品で 「世尊は方便の教えを長い間説いた後、必ず当(まさ)に真実を説くのである」 と明らかに説かれて、 舎利弗(しゃりほつ)は華光如来(けこうにょらい)、 迦葉(かしょう)は光明如来(こうみょうにょらい)等と、 赫々(かくかく)たる太陽、明々(めいめい)たる満月の様に経文に記(しる)し、 鏡に浮かべられたからこそ、 釈尊入滅後の人天のもろもろの檀那(だんな)達から仏の様に仰がれたのです。 水が澄(す)めば、月はその影を映す事を惜(お)しみません。 風が吹けば、草木はなびかないでしょうか。 それと同じで法華経の行者があれば、舎利弗等これらの聖者はたとえ大火の中をくぐっても、 大石の中を通っても訪ねて来られるべきです。 迦葉(かしょう)は入定(にゅうじょう)して弥勒菩薩の出現を待つと言いますが、 それも事によるのであって、 今法華経の行者が難にあっているのに、いったいどうなっているのか、 不審で仕方ありません。 「後五百歳(ごごひゃくさい)」の予言が当たらないのでしょうか 「広宣流布(こうせんるふ)」の言葉は偽りとなるのでしょうか。 あるいは日蓮が法華経の行者では無いのでしょうか。 法華経を経内と蔑(さげす)み下して、教外別伝(きょうげべつでん)と称する 大嘘(おおうそ)つきの禅宗の者を守られるのでしょうか。 あるいは捨閉閣抛(しゃへいかくほう)と定めて法華経の門を閉じよ、 巻物を抛(なげう)て、と版に彫りつけて、 法華堂を失わせる念仏者を守護されるのでしょうか。 それとも仏前において法華経の行者を守護するとの誓いはあったけれども、 濁世(じょくせ)の大難の激しさを見て、諸天善神は下って来られないのでしょうか。 日月共に天にあります。 須弥山(しゅみせん)は今も崩れていません。 海潮(かいちょう)も増減しています。 四季も型の通りで違っていません。 それなのに法華経の行者に守護が無いのは、いったいどうした事かと、 大きな疑問はいよいよ積もってきます。 26 菩薩等が爾前(にぜん)では無恩である事を明かす 又、もろもろの大菩薩や天・人らは、 爾前の経々において未来の成仏を明かされた様に見えるけれども、 それはあたかも水中の月を取ろうとする様な、 又影を本体と思う様なもので、 色・形だけあって実義は無いのです。 又、仏からうけた御恩も深い様に見えて、実は深くありません。 釈尊が初めて仏道を成じた時には、まだ説教も無かったので、 法慧(ほうえ)菩薩・功徳林(くどくりん)菩薩・金剛幢(こんごうどう)菩薩・ 金剛蔵(こんごうぞう)菩薩等という六十余人の大菩薩が、 十方の諸仏の国土から教主釈尊の前にやって来られて、 賢首(けんじゅ)菩薩や解脱月(げだつがつ)らの菩薩の請(こ)いに従って、 十住(じゅう)・十行(ぎょう)・十回向(えこう)・十地(じ)等の法門を説かれました。 これらの大菩薩が説かれた法門は、 釈尊に習い奉(たてまつ)ったものではありません。 十方世界のもろもろの梵天達もやって来て法を説きましたが、 これらも又釈尊に習い奉(たてまつ)ったのではありません。 総じて華厳経(けごんきょう)説法の座に集まった大菩薩や天・竜らは、 釈尊以前に不可思議解脱に住(じゅう)していた大菩薩です。 釈尊が過去世において 菩薩として因位(いんい)の修行をしておられた時の弟子ででもあるのでしょうか。 十方世界で先に出現された弟子ででもあるのでしょうか。 一代五十年の教主として インドに生まれて始めて成道(じょうどう)した釈尊の弟子ではありません。 阿含(あごん)・方等(ほうどう)・般若(はんにゃ)の三時に 蔵(ぞう)・通(つう)・別(べつ・円(えん)の四教を釈尊が説かれた時に、 ようやく弟子が出来たのです。 これも又釈尊自らの説法ではありますが、正説(しょうせつ)ではありません。 どうしてかと言えば、 方等・般若に説かれた別・円の二教は、華厳経の別・円二教の範囲を出ていません。 208p 華厳経の別・円二教は教主釈尊の別・円二教では無く、 法慧(ほうえ)菩薩らの大菩薩が説いた別・円二教です。 これらの大菩薩は人目には釈尊の御弟子かの様に見えますが、 釈尊の御師(おんし)ともいうべきです。 釈尊は、華厳の時に かの菩薩達の説くところを聴聞(ちょうもん)して智慧が啓発して後、 重ねて方等・般若の別・円を説かれました。 これは趣(おもむき)も変わらない華厳経の別・円二教です。 ですから、これらの大菩薩は釈尊の師なのです。 華厳経で、これらの菩薩を教えあげて、善知識である、と説かれたのは、 この事を言っているのです。 善知識というのは、一向に師でも無く、一向に弟子でも無い事です。 蔵(ぞう)・通(つう)の二教は又別(べつ)・円(えん)二教の枝流(しりゅう)です。 別・円二教を知っている人は必ず蔵・通の二教を知っております。 人の師というのは弟子の知らない事を教えるのを師というのです。 例えば釈尊より以前の、一切の人・天、外道は、二天・三仙の弟子です。 外道が九十五種にまで分派したけれども、三仙の見解を出ていません。 教主釈尊も外道から習い伝えられて、外道の弟子であられましたが、 苦行(くぎょう)・楽行(らくぎょう)を重ねて十二年の時、 苦(く)・空(くう)・無常(むじょう)・無我(むが)の理を悟り出したからこそ、 外道の弟子という名を離れられて、 無師智(むしち『師無くして自ら得た智慧』)と名のなれたのです。 又人・天も大師と仰いだのでした。 27 法華の深恩(じんおん)を明かす 釈尊は御年七十二歳の時、 摩竭提国(まがだこく)の霊鷲山(りょうじゅせん)という山において、 無量義経を説かれた時に、四十余年の経経を取り上げて、 枝葉(えだは)の経はその中に収めて 「四十余年の間、いまだ真実を顕さず」 と打ち消されたのは、この事です。 この時、もろもろの大菩薩や天・人らは、あわてて真実の義を説いてほしいと言いました。 無量義経において真実の義と思われる様な事が一言ありますが、 まだ真実の義はありません。 それは、譬えば月が出ようとする時、 その本体はまだ東の山に隠れていて、光りは西の山にまで届いているが、 人々は月の本体を見る事が出来ない様なものです。 法華経方便品で略三乗を開いて一仏乗を顕す時、 釈尊は略して一念三千を説き、心中の本懐を少し述べられました。 はじめて聞く事なので、ほととぎすの初音(はつね)を、 寝惚(ねぼ)けている者が一声聞いた様に、 月が山の端に出たけれど薄雲(うすぐも)が覆っているように、 ごくかすかであったので、 舎利弗らは驚いて、諸天・竜神・大菩薩らを集めて、 「諸天・竜神等、その数は恒沙(ごうじゃ)の様に多い。 仏を求めるもろもろの菩薩の数は八万もある。 又もろもろの万億の国の転輪聖王(てんりんじょうおう)がやってきて、 合掌(がっしょう)して敬心(けいしん)をもって、 具足(ぐそく)の道を聞きたいと望んでいる」(法華経方便品) 等とお願いしました。 経文の意味は、四味三教の爾前四十余年の間、 209p いまだ聞いた事の無い法門を承りたいとお願いしたのです。 この経文に 「具足の道を聞きたいと望んでいる」というのは、 大経(だいきょう『涅槃経』)には 「薩(さ)とは具足の義に名づける」とあります。 「無依無得大乗四論玄義記(むえむとくだいじょうしろんげんぎき)」には 「沙(さ)とは翻訳して六という。インドでは六をもって具足の義とする」とあります。 吉蔵(きちぞう)の「法華義疏(ほっけぎしょ)」には 「沙(さ)とは翻訳して具足となす」とあります。 天台大師の「法華玄義(ほっけげんぎ)」の八には 「薩(さ)というのは梵語(ぼんご)で、中国では妙(みょう)と訳すのである」 とあります。 付法蔵(ふほうぞう)の第十三で、 真言宗や華厳宗、その他の諸宗の元祖で、 本地は法雲自在王如来(ほううんじざいおうにょらい)、 その迹の姿が竜猛(りゅうみょう)菩薩という初地(しょじ)の大聖(だいしょう)が著した 「大智度論(だいちどろん)」千巻の肝心には 「薩(さ)とは六である」とあります。 妙法蓮華経というのは漢語です。 インドでは薩達磨分陀利伽蘇多攬(さだるまふんだりきゃそたらん)と言います。 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)の法華経の肝心の真言には 「曩謨三曼陀没駄南(のうまくさんまんだぼだなん)[帰命普仏陀(きみょうふぶつだ)] 唵(おん)[三身如来(さんじんにょらい)] 阿阿暗悪(あああんなく)[開示悟入(かいじごにゅう)] 薩縛勃陀(さるばぼだ)[一切仏(いっさいぶつ)]枳攘(きのう)[知(ち)] 娑乞蒭毘耶(さきしゅびや)[見(けん)] 誐誐曩三娑縛(ぎゃぎゃのうさんそば)[如虚空性(にょこくうしょう)] 羅乞叉儞(あらきしゃに)[離塵相也(りじんそうなり)] 薩哩達磨(さつりだるま)[正法(しょうぼう)] 浮陀哩迦(ふんだりきゃ)[白蓮華(びゃくれんげ)] 蘇駄覧(そたらん)[経(きょう)]惹(じゃ)[入(にゅう)]吽(うん)[遍(へん)] 鑁(ばん)[住(じゅう)]発(こく)[歓喜(かんぎ)] 縛日羅(ばざら)[堅固(けんご)]羅乞叉まん(あらきしゃまん)[擁護(おうご)] 吽(うん)[空無相無願(くうむそうむがん)] 沙婆訶(そはか)[決定成就(けつじょうじょうじゅ)]」 と言っています。 この真言は南インドの鉄塔の中にあった法華経の肝心の真言です。 この真言の中に薩哩達磨(さつりだるま)というのは正法の事です。 薩(さ)というのは正です。 正は妙であり、妙は正です。 だから正法華(しょうほっけ)とも妙法華(みょうほっけ)とも言うのです。 又、妙法蓮華経の上に南無(なむ)の二字をおいて南無妙法蓮華経というのです。 妙(みょう)とは具足という事であり、六とは六度万行(まんぎょう)という事です。 もろもろの菩薩が、どうしたら六度も万行を具足出来るのかを聞きたいと思う、 という事です。 具(ぐ)とは十界が互いに十界を具(そな)えている事であり、 足(そく)というのは一界に十界を具えているから、 その界そのものの位に他の九界があり、満足の義です。 この法華経の一部八巻二十八品六万九千三百八十四字の一一に皆妙の一字を具えており、 一字一字は三十二相八十種好(しゅごう)の仏陀です。 十界に皆それぞれの界の仏界を顕しています。 妙楽大師は 「止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)」に 「十界に皆仏果を具えている。その他の果を具えているのは当然である」 と言っています。 具足の道を聞きたい、との願いに仏は答えて法華経方便品に 「衆生をして仏の知見(ちけん)を聞かせたいと思う」 と言われました。 衆生というのは舎利弗(しゃりほつ)であり、 衆生というのは一闡提(いっせんだい)であり、 又衆生というのは九法界の事で、 「一切の衆生を全て救おうとの誓い」 がここに満足したのです。 法華経方便品に 「我は本(もと)誓願を立て、 一切の衆生を仏と等しくして異なる事の無い様にさせたいと願った。 昔に願ったところの事は、今既に満足した」 と説かれています。 もろもろの大菩薩や諸天らはこの法門を聞いて領解(りょうげ)して法華経譬喩品に 「われわれは昔より今まで、しばしば釈尊の説法を聞いてきたけれど、 未だかつてこの様な深妙の上法を聞かなかった」 と言っています。 伝教大師はこの経文を解釈して「守護国界章」に 「われわれは昔より今まで、しばしば釈尊の説法を聞くというのは、 210p 昔、法華経の前に、華厳経等の大法を説くのを聞いた事をいうのである。 未だかつてこの様な深妙な上法を聞かなかったとは、 未だ法華経の唯一仏乗の教えを聞かなかった事をいうのである。」 と言っています。 華厳・方等・般若・深密(じんみつ)・大日等の数多くのもろもろの大乗経では、 未だ釈尊一代仏教の肝心である一念三千の大綱・骨髄の二乗作仏・久遠実成等は 未だ聞かなかった、と領解(りょうげ)したのです。